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中島翔哉の“助走期間”を見続けた男。
安間貴義に届いた1通のメッセージ。
posted2018/10/28 11:30
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph by
AFLO
「ポルトガルリーグ9月の月間MVPを受賞」
「ビッグクラブ移籍に現実味」
「セビージャ、レスターが興味。移籍金が急騰」
ポルトガルでの大活躍と、今月のウルグアイ戦の2得点に絡んだプレーによって、中島翔哉(ポルティモネンセ=ポルトガル)に対する注目が一気に高まっている。
高校3年生でプロデビュー、Jリーグ史上最年少のハットトリック達成、各年代別代表の中心選手……。こうした経歴から、陽の当たる場所ばかりを歩いてきた印象があるかもしれない。が、日本では2桁ゴールはもとより、年間を通してレギュラーで出場したシーズンもなかったのだ。
そんな“助走の時期”を過ごしていた日本代表の新10番を、指導者としてもっとも長く見つめてきたのが安間貴義FC東京コーチ兼U-23監督だ。
始まりは、当時J2のカターレ富山で監督を務めていた'14年1月下旬のこと。チームはすでに開幕に向けたキャンプを、静岡のJ-STEPでスタートしており、中島のほうはオマーンで開催されたAFC U‐22選手権の準々決勝で敗れて帰国した直後。そんなタイミングで、東京ヴェルディからFC東京への完全移籍と、即富山への期限付き移籍が決まったのだ。
安間は悪い意味で驚かされた。
FC東京のフロントからすれば、将来はチームの中心になり得る素材だが、大きなサイズの選手を好み、J1での実績を重要視するマッシモ・フィッカデンティ監督のもとでは、構想に入りにくいタイプ。だったら、実戦経験を積んだほうが、選手にとってもクラブにとってもプラスになる――。そんな見通しがあったようだ。
中島本人も1日も早い海外移籍を目指すなか、より多くの出場機会を求めていた。富山にとっても若きアタッカーの補強になる。
それぞれの思惑は一致していたのだが、いざキャンプに合流してきた中島のプレーぶりを見た安間は、悪い意味で驚かされたという。トップ下から縦横無尽に動き回ってはドリブルでグイグイと仕掛けていたデビュー当時のイメージと、あまりにかけ離れていたからだ。