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ナントに復帰したハリルホジッチ。
恩師が振り返る“問題児”との日々。 

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占部哲也(東京中日スポーツ)

占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe

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posted2018/10/24 17:30

ナントに復帰したハリルホジッチ。恩師が振り返る“問題児”との日々。<Number Web> photograph by Getty Images

衝撃的な電撃解任から数カ月後、ハリルホジッチは再びテクニカルエリアで熱き血潮をたぎらせている。

ハリルは戦力外寸前だったが。

 35年以上前、伝統あるクラブの指揮官を悩ませたのは、才能に満ちあふれつつも、協調、共鳴、連動とはかけ離れた、ユーゴスラビアからやってきた孤高のストライカーだった。

 ハリルがナントに移籍して2年目。スオードさんが監督に昇格した。クラブ幹部は期待外れの助っ人を戦力外にしようとしたが、新監督は懸命に引き留めた。なぜか。

「選手、監督で計40シーズン過ごしたナントで、あれほど素晴らしいストライカーを見たことはなかった」

 ここからが名将の腕の見せ所。就任直後、1年目の不振で自信を失いかけたハリルに語りかけた。

「君の(前所属)モスタル時代のステータスは変わらない。今、モスタルに帰れば新聞で1面を飾れる。ただ、ここナントでは違う。君の周りには仲間がいる。1人で『おら。ボールをよこせ』と突っ立っていることはできない。

 君はフィジカル的には素晴らしい。スーパースターだ。ただ、君1人でサッカーをやっているのではない。周りにはチームメイトがいる。その中で、どう動くかを考えないとね」

仲間の中で自分がどう動くか。

 ナントのスタイルは複数人が流動的に動き、危険なスペースを探し、突き、ゴールを陥れる。動かない“電柱”の点取り屋は不要だった。フランスフットボール界のプロフェッサーとも呼ばれたスオードさんは、自らの源流を明かした。

「私は大家族で育った。5人兄弟。だから、いつもシェアすることが根源にあった。ナントでは選手、監督として4回優勝しているけど、常にそのエスプリ、発想があった。基本はいかに動くかだ。私にとっての『動き』は、仲間と一緒にどう動くか。連動するかということ。仲間の中で自分がどう動くか。それを常に考えることだった」

 悩める点取り屋に対しては「人間、人生において自信を持つことはすごく大事なことだ。偉いぞ」とおだてつつ、「で、それでね。それに加えてこれもやらないとね」と説得したという。2人の距離は徐々に縮まり、融合するようになる。

【次ページ】 よく監督室で議論し合った。

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