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慶應野球部の後輩視点で見た退任。
高橋由伸、初めての「わがまま」。
posted2018/10/09 15:00
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph by
Hideki Sugiyama
「あれだけの実力があるのに、チームの意向に必ず従う……それが由伸さん」
これは、僕たち慶應義塾大学野球部の後輩たちが共通して持っている、高橋由伸への印象です。
学生時代から、スター選手として注目されてきた高橋由伸。チームの意向、監督の指示、支えてくれる方たちの想い……これらに常に向き合い、従ってきました。そして、与えられた場所で結果を残し、常に勝利の輪の中心にいました。
桐蔭学園高校から慶應義塾大学に進み、1年生でレギュラーを獲得した時も、4年生で主将を任された時も、そして大学からプロの世界へ進む時も、さらに現役選手からそのまま読売巨人軍の監督に就任する際も「お世話になったチーム」「お世話になるチーム」の意向には必ず従ってきたのが、野球人・高橋由伸でした。
「わがままを言える立場じゃない」
「由伸さんは、わがままを言いたくなる時はないんですか?」
食事の席で、僕が何気なく聞いた質問に、力を込めてこう返してくれました。
「わがままを言うも何も、その前に使ってもらえるかどうかが野球。使ってもらえないと始まらない。だから自分を使ってくれて、求められたら絶対に結果を残さないと。結果を残せないなら、野球人としては終わり。わがままを言える立場じゃないんだよ」
この時、30代前半、選手として高橋由伸は全盛期でした。
でも本当は、いろんな思いを抱えていました。
アテネ五輪では「日本代表」という想像を絶する重責に耐えられるのか、自分に問いただし、出場するかどうか悩みもしていました。
30代半ばで自分の腰が以前の状態に戻ることはないと覚悟し、引退と隣り合わせの苦しみも味わってきました。それでも、あと数年はやれるかもしれない……40歳にして心身ともに整い始め、いつになくトレーニングに力を入れていた時に、監督就任の要請がありました。
「プロでできるだけ長く現役生活を送る」という夢がある中で、高橋由伸はお世話になったチームの意向を速やかに受け入れました。