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慶應野球部の後輩視点で見た退任。
高橋由伸、初めての「わがまま」。 

text by

田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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photograph byHideki Sugiyama

posted2018/10/09 15:00

慶應野球部の後輩視点で見た退任。高橋由伸、初めての「わがまま」。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

岡本和真ら若手の底上げに成果を出したが、3年連続のV逸、12年ぶりのシーズン負け越しの責任は重かった。

チームの想いを優先させ続けて。

「自分の想い」よりも、「チームの想い」を優先させてきた野球人生。

 しかし、今回は恐らく、いや間違いなく、初めて高橋由伸という男が、お世話になってきたチームに自らの「わがまま」を主張しました。

 慰留されながらの、監督退任。

 これまで自分の中にどんなに熱き想いがあろうとも、チームの意向に最大限応えてきた野球人・高橋由伸が、どれだけ慰留されても受け入れないという決断を下しました。

 背番号24がグラウンドで観られないことを想像するのは、僕にとっても非常に難しく、球団から発表があった時、力が抜けるような感覚がありました。

 ただ、それと同時に選手・高橋由伸が全盛期に言っていたことが蘇りました。

「結果を残せないなら、野球人としては終わり」

 世間が思っている以上に、本人は結果を求めていました。

 しかし、思い通りの結果は残りませんでした。

「結果を残す、これが野球人」

 巨人の監督に就任して3年。優勝を経験している主力選手たちがベテランの域に達し、若手を起用してチームの底上げを図らなければならないという、非常に難しい時期の監督就任でした。

 兼任コーチを除けば、現場での指導者経験もありませんでした。それでもこの3年間、グラウンドで言い訳の言葉は一切こぼしませんでした。

「結果を残す、これが野球人」

 高橋由伸の揺るぎないこだわりが生んだ「わがまま」。チームの意向に従ってきた人間が、初めて自分の主張を優先させました。

 まだ、43歳。

 背番号24は、再びグラウンドに帰ってくるはずです。

 今度こそ、結果を残すために。

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高橋由伸
読売ジャイアンツ
慶應義塾大学

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