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クライフは本当はW杯に行けなかった!?
オランダvs.ベルギー、伝説の誤審。 

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ロベルト・ノタリアニ

ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni

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photograph byL'Equipe

posted2018/09/26 07:30

クライフは本当はW杯に行けなかった!?オランダvs.ベルギー、伝説の誤審。<Number Web> photograph by L'Equipe

11番のユニフォームがヤン・ベルアイエン。当時のベルギー代表の中心的選手として大いに活躍していた。

「トータルフットボール」は生まれなかった!?

 ベルアイエンのこのゴールで、ベルギーはオランダを退け2大会連続のワールドカップ本大会出場を成し遂げた、はずだった。

 そしてオランダはと言えば、西ドイツワールドカップで世界に何も衝撃を与えることなく、歴史の片隅に埋もれている、はずだった。

 もしそうなっていたら、革命的なスタイルで3年にわたりヨーロッパを席巻したアヤックスのトータルフットボールは、どんな形で世界に伝えられていただろうか。

 不世出の天才児ヨハン・クライフはこのシーズンはじめにアヤックスからバルセロナに移籍していたとはいえ、そのオートマティズムを維持し続けていたオランダ代表は表舞台で日の目を見ることもなく、世界的な注目を浴びる機会は永遠に失われていただろう。

ベルギーの名将・ゲタルス監督の存在。

 当時29歳であったベルギー代表のMF(ベルアイエン)が、オランダの野望を粉砕する――。それはとりもなおさず、“レイモン・ザ・サイエンス”の異名を持つレイモン・ゲタルス監督(アンデルレヒトで2年連続カップウィナーズカップ決勝進出。'93年にオリンピック・マルセイユをチャンピオンズリーグ優勝に導いた名将)に率いられEURO72では3位になったチームが、前回メキシコに続き2大会連続で本大会に進むことを意味していた。

 ソビエト人のカザコフ主審がセンターサークルを指示し、残り時間はエクストラタイムを含め2分あるかどうか。だが、ピッチ中央に向かいかけたカザコフが見たのは、オフサイドの判定を下してフラッグを高く掲げる副審の姿だった。

 ベルアイエンのゴールは取り消され、オランダは1938年以来のワールドカップ本大会出場を決めたのだった。

【次ページ】 極上のパスでも得点できないオランダFW。

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