フランス・フットボール通信BACK NUMBER
クライフは本当はW杯に行けなかった!?
オランダvs.ベルギー、伝説の誤審。
posted2018/09/26 07:30
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
L'Equipe
『フランス・フットボール』誌では、事件など何らかの理由で歴史の表舞台に現れなかった選手をとりあげて、10回にわたる連載として掲載している。8月28日発売号では、ロベルト・ノタリアニ記者がヤン・ベルアイエンについて書いている。
読者の皆さんはご存じないかも知れないが、もしも1973年11月18日のワールドカップ予選、オランダ対ベルギー戦で彼のゴールが正当に認められていたら、オランダは西ドイツワールドカップに出場できなかった(オランダとベルギーはヨーロッパ第3組でともに4勝2分。直接対決は2引き分けで、24得点2失点のオランダが、12得点0失点のベルギーを得失点差で抑えて本大会出場を果たした)。
サッカーのコペルニクス的転換であり、世界に大きな衝撃を与えたトータルフットボール革命もワールドカップの檜舞台で注目を浴びることなく、その体現者ヨハン・クライフの3度目のバロンドール受賞も恐らくなかっただろう。
歴史の境目でいったい何が起こっていたのか――ノタリアニ記者が検証する。
監修:田村修一
西ドイツW杯出場をかけた世紀の一戦。
これから語られるのは壮大な叙事詩ではない。ひとつのエピソード、ひとつの感情の起伏、副審の気まぐれな判定のひとつにすぎないのかも知れない。
だが、1973年11月18日にアムステルダム・オリンピックスタジアムで試合終了1分前に生じた些末な出来事が、ベルギー代表をワールドカップ本大会出場から遠ざけ、ヨハン・クライフとオランダ代表に36年ぶりのワールドカップ出場をもたらしたのだった。
そのときオリンピックスタジアムを埋め尽くした5万5000人の観衆は、固唾を飲んで試合の行方を見守っていた。
オランダのペナルティエリア手前でのフリーキック。ポール・バンイムストの左足から放たれたボールは、正確な軌道を描いてファーポストに構えるヤン・ベルアイエンのもとに到達した。ベルアイエンの右足から放たれたボレーシュートは、GKピート・シュリベールスがまったく反応できないままオランダゴールに突き刺さった。
詰めかけた8500人のベルギーサポーターは、狂喜乱舞してベルギーの決勝ゴールを祝福した。