相撲春秋BACK NUMBER
長期休場した横綱たちの物語――。
貴乃花と武蔵丸のライバル秘話。
posted2018/09/10 16:30
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Kyodo News
8場所に及ぶ休場を経て、進退を懸けて土俵に臨んでいる稀勢の里。歴代の横綱たちのなかでも、長期休場を経験した横綱たちがいる。7場所連続休場した貴乃花と、それに続くかのように6場所連続休場した武蔵丸だ。往年のふたりの横綱の休場・引退は、それぞれが主人公となって「闘う男のドラマ」を紡ぐ、知られざる“ライバル物語”でもあった。
貴乃花の最後の優勝――22回目の優勝パレードは、それまでになく沸き返っていた。当時の二子山部屋のあった中野新橋の沿道に溢れ返る人々に向かって、両手の花束を高く掲げ、満面の笑みで応える貴乃花の姿があった。傍らで寡黙な横綱を見続けていた関係者は、目を疑ったという。
「貴乃花関が、あんなに喜びを表す姿は初めて見たんです。おそらく、その胸中には、これが最後の優勝になるかもしれない――との思いがあったのかもしれません」
この言葉どおりに「世紀の一戦」の代償は、大きく、平成の大横綱の最後の優勝となる。
貴乃花も武蔵丸も後遺症に苦しむ。
「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」
時の小泉首相が、総理大臣杯を授与しながら思わず叫んだ、あの貴乃花と武蔵丸の一戦。2001年5月場所千秋楽、優勝決定戦を制した手負いの貴乃花が、阿修羅のごとくの表情を見せ、今なお往年の相撲ファンが伝説のように語り継ぐ大一番だ。
この一戦で再起不能といわれるまでの傷を負った貴乃花は、膝の手術のためにパリに飛ぶ。復活を目指しながらリハビリ生活を送り続け、それは「7場所連続全休場」という横綱休場ワースト記録(当時)となるほどの長い道のりとなった。
そして対戦相手の武蔵丸も、以来半年もの間、この一戦の「後遺症」に苦しめられていたのだった。
'01年5月場所、全勝で迎えた14日目の武双山戦で、貴乃花は土俵際で巻き落とされて黒星を喫す。この時、右膝を亜脱臼し、半月板を損傷する重傷を負った。もし貴乃花が休場すれば、2敗で追い掛ける武蔵丸が本割の取組で不戦勝=同点となり、続く優勝決定戦での対戦も不可能だ。大相撲史上初の「千秋楽不戦勝による逆転優勝」の可能性が浮上する。「それもやむを得ない、貴乃花の出場は絶望的だ」と、師匠であり父でもある二子山親方(元大関貴ノ花)はもちろんのこと、誰もがそう考えていた。周囲は休場を勧めるのだが、「横綱としてではなく、ひとりの力士として」この時の貴乃花には、みじんも休場の意志はなかった。