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女子マラソンの新星・松田瑞生。
動物的なオーラと底抜けの明るさ。
posted2018/07/10 08:00
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph by
Ai Hirano
初マラソンで選考会への切符を勝ち取った彼女は不退転の覚悟で臨む。
Number950号(2018年4月12日発売)の特集を全文掲載します!
シックスパックに割れた腹筋は、短距離選手も顔負けだ。持ち前の筋力を活かし、弾むようにパワフルに走る。
圧巻だったのは、昨年の日本選手権の1万m。最後の直線で解き放たれたように加速すると、リオ五輪代表の鈴木亜由子を一気に抜き去り、初優勝を遂げた。獲物をとらえたら逃さない。まるで野生のチーターのような走りだった。
生まれながらのランナーという印象だが、小学生の頃は柔道をやっていたという。
「妹が『ヤワラちゃんになりたい』と言いだして、私と姉もやらされることになったんですよ。その頃から練習で普通に腹筋100回とかやってましたね。でも、私は走るほうが好きで、地域のマラソン大会では毎年優勝してました。そのときからマラソン選手になってオリンピックに出るというのが夢になったんです」
20代前半からマラソン挑戦ができる。
中学では、バスケ部主将だった姉に頼まれて1年間バスケをやったが、2年生から陸上部に転部。柔道もやめ、陸上一本に絞ると、すぐに才能が開花した。
「最初のレースでいきなり大阪市の一番になったんです。そしたら、お父さんが『大阪府で一番にならなあかん』って言うんですよ。府で一番になったら、『全国大会に行かなあかん』。実際に全国大会に行ったあとは、何も言わなくなりましたけど(笑)」
高校は大阪のトップ選手が集まる名門、大阪薫英女学院に進む。そして、1年から3年まで連続して全国高校駅伝に出場した。
「私、勉強がすごく苦手で、テストの前は必ず熱が出てたんですよ。『おまえはもう勉強するな』って顧問の先生に言われるぐらいで(苦笑)。もし大学に行っても、走るより勉強で苦労すると思って、実業団に入ることに決めたんです」
最終的に選んだのは、地元大阪のダイハツ。20代前半からマラソンに挑戦させてもらえるのが決め手だった。