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狂気と流血のデスマッチで「生きる」。
竹田誠志と木高イサミの人生ドラマ。

posted2018/06/26 16:55

 
狂気と流血のデスマッチで「生きる」。竹田誠志と木高イサミの人生ドラマ。<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

死闘の後、リング上で竹田誠志に深々と頭を下げて退場していった木高イサミ。

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

 リングアナウンサーの新土裕二は、選手コール時に「5年ぶりのシングルマッチ」というフレーズを使った。それが欠かせない“基本情報”だったわけだ。

 6月20日、大日本プロレス後楽園ホール大会のメインイベント、竹田誠志vs.木高イサミのデスマッチヘビー級選手権である。竹田はフリー、イサミはプロレスリングBASARA代表と所属選手ではないが、大日本の「デスマッチ」で名を上げた選手だ。

“電流爆破”の大仁田厚から松永光弘、本間朋晃、葛西純といった選手たちが、世代を重ねるごとにプロレスの一大カテゴリーとして確立させ、ファンを魅了してきたデスマッチ。

 かつては「遺恨清算」や「完全決着」の手段だったが、今ではタイトルが制定されデスマッチファイターと呼ばれるスペシャリストもいる。

 有刺鉄線や蛍光灯、ガラス板、カミソリまで使う彼らの試合はいわゆる【グロ注意】である一方、不思議と後味がいい。試合はやはり試合であって、単なる残酷ショーではないのだ。

同志で戦友、そしてライバルによる王座戦。

 そんなデスマッチの世界で、史上初のデスマッチ2冠(大日本プロレス=BJW認定デスマッチヘビー級王座、FREEDOMS=KING of FREEDOM WORLD王座)を達成したのが、葛西たちを追う世代としてインパクトを残してきた竹田だった。今回はデスマッチヘビー7度目の防衛戦だ。

 挑戦者のイサミはデビューこそ竹田より早いが、デスマッチファイターとしてはほぼ同世代。タッグを組んでいた時期もある。同志で戦友、そしてライバルと言っていい。

 イサミ曰く、かつての自分は「どうしようもないチンピラみたいなレスラーだった」。そこに変化をもたらしたのが竹田とのタッグ結成だったという。「景色が変わったし、周りの見る目が変わった」。

【次ページ】 「差をつけられて、ジェラシーが爆発した」

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