テニスPRESSBACK NUMBER
ダニエル太郎は楽しむテニスを貫く。
両親が育んだポジティブな人生観。
posted2018/04/18 11:30
text by
吉谷剛Tsuyoshi Yoshitani
photograph by
Hiromasa Mano
吉報は届かなかった。
3月のマイアミ・オープン、男子シングルス予選決勝で敗れたダニエル太郎はラッキールーザー(LL)の1番手に繰り上がり連日、朝から会場で待機していた。
1人でも欠場者が出た時点で出番がくるため、午前9時からウォーミングアップを兼ねて他の選手の練習に付き添い、午後も軽めに体を動かして夜まで会場に残った。
予選敗退から4日目の24日朝。シード選手が出てくる2回戦まで望みを持ち、ベルディハとの対戦を控えた西岡良仁の練習相手を務めたものの、欠場者は現れなかった。
「今年からウィズドローでも賞金が出るようになったので(シードの欠場者が)現れるかなと期待していたけど、仕方ないですね」。2月のアカプルコではナダルの欠場でLLで本戦入りしていたが、2度目の幸運には恵まれなかった。
ジョコビッチ撃破の陰に父親の存在が。
マイアミの前週にインディアンウェルズで行われた大会では予選を突破して、2回戦で元世界1位のジョコビッチを破った。ダニエルのプレーに自信があふれていたのは、アカプルコで父親のポールさんが大会に付き添い、一緒の時間を過ごしたことが大きかった。
「いつかいい結果が出る」との父の言葉に「自分を信じられるようになった」。
常に試合中に訪れる不安な気持ちをダニエルは「黒い雲みたいなモヤモヤ」とたとえていたが、そのモヤモヤが脳裏をよぎっても、吹き飛ばすだけの強い精神力が今の自分にはあると。
例年はチャレンジャー大会に出ることが多い2~3月に今年はツアー大会の予選から挑戦したのも、上のレベルでも通用するという自信があったため。
「打つ前のリズムが取れていなくて、イップス気味だった」(高田コーチ)というサーブが少しずつ改良されて安定したのも、この自信が支えている部分が大きい。
少しずつ歯車がかみ合ってきた中で迎えたジョコビッチ戦の大金星だった。