サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
ジャーナリスト田村修一が目撃した激闘の記憶
posted2018/04/06 10:00
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Shinji Akagi
ワールドカップアメリカ大会アジア最終予選(ドーハ アルアリ・スタジアム)
日本 2-2 イラク
隣りの記者席に座ったイラク人記者は、スイス人の主審が日本びいきの判定を下すたびに、口から泡を飛ばし机を叩いて怒り狂っていた。
「FIFAとしては、今回は日本とサウジアラビアに予選を突破して欲しいのだろうな」
開催国アメリカの代表監督としてアジア最終予選を視察に訪れたボラ・ミルティノビッチは、数日前にシェラトン・ドーハホテルのプールサイドで「どこが突破すると思うか?」という私の質問にそう答えたのだった。
アメリカとの緊張関係が高まっているサダム・フセイン統治下のイラクが出場権を得るのは、FIFAにとってもアメリカにとっても好ましくない。そしてボラの言葉通り日本は、勝てば突破が決まるイラクとの最終戦で、三浦知良(5分)と中山雅史(69分)のゴールでイラクを2対1とリードしていた。
私はといえば、イラク人記者にどんな慰めの言葉をかけようかと思案していた。審判まで敵に回してあなた方は良く戦った。でも残念ながら、今日はイラクの日ではなかった。そんな言葉を、心に思い浮かべていた。
ドーハの日本メディアは熱に浮かされていた。
ドーハを訪れた日本メディアは、誰もが熱に浮かされていた。客観的に見れば、力はイラクの方が少し上。それをわかっていながら、希望と可能性を区別することができなかった。「勝って欲しい」という願いは、いつのまにか「勝てるのではないか」という思い込みに限りなく近づいていったのだった。
私自身、その思いはひときわ強かったように思う。だが、隣りのイラク人記者の怒りが、私の熱を冷ました。あれこれと考えているうちに、ロスタイムの同点劇が起こった。
目の前で起こったことを、しばらくは事実と認識できなかった。そして試合終了のホイッスル。気がつくとイラク人記者は、いつの間にかいなくなっていた。