“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
風間サッカーを体現する和泉竜司。
名古屋で迎える再びの“キレキレ”!
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/03/25 11:30
降格の時を知る選手として……いつか「名古屋の顔」になることを目指したいと語る和泉竜司。
風間サッカーを体現する、重要な選手に。
コンディションもよく、身体のキレもある和泉は、積極的なドリブルでの仕掛けや、縦パスを受けて鋭いターンからのスルーパスなど、ゴール前での決定的な仕事をするだけでは収まらなかった。
中盤の深くまで落ちてボールを受け、一度はたいてから前に出て行ったり、密集地帯でボールを受けてタメを作ったり、相手ボールになった瞬間に身体を寄せてボールを奪ったり……と、攻撃の起点と攻守のトランジションの中枢を担っている。その多岐にわたる活躍ぶりは、今や風間サッカーを体現するために欠かせない要素となっている。
「もちろん前に行く動きの方が好きですが、ボールに多く触ることそのものが好きですし、組み立てや中継をやることは嫌じゃないし。
今のポジションは自分がやりたいことができるし、自分のドリブルやパスがこのポジションなら生きるということを再確認できたんです。去年なかなかやれなかった分、風間監督が就任してチームとして1つずつ積み上げてきたものを、前のポジションで表現できていることは物凄く楽しさを感じていますし、試合もそうだし、日々の練習でも自分の成長を感じることができています」
まさに水を得た魚と言うべきか。
沖縄での輝きが、再び戻ってきた!
正直に言うと……沖縄での輝きを観たその後の和泉の姿に関して言えば、違和感を覚えていた。
和泉は沖縄インターハイ後、高校選手権の予選で敗れていた。高3になって、最後の高校選手権でエースとしての働きを見せてチームを優勝へと導いたが、彼自身は怪我の影響で1年を通して満足のいくプレーができていなかった。
明治大学に進んでからは、1年時から出番こそ掴んでいたが、度重なる怪我がプレーを大人しくさせていた。3、4年生になってからは、今度はエースの重責を背負うこととなり、どこか窮屈そうなプレーが目立っていた。
あの頃、あの沖縄での躍動感を感じることは、その後は無かったのである。
そんな苦しい時代にあっても、着実に成長をしていった彼のセンス、努力はさすがの一言だが、沖縄でのインパクトが忘れられない筆者にとっては、どこか物足りなかったのも確かだった。
しかし、今季はあの頃と同じ輝きを見せている。
しかも、若さを武器にがむしゃらにプレーしていた沖縄インターハイの時とは違い、落ち着いた1人のプロサッカー選手として、1人の大人として重厚な輝きを放とうとしているのだ。