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小平奈緒、寺川綾、伊調馨の共通点。
「環境の変化」は進化につながる。

posted2018/03/12 11:00

 
小平奈緒、寺川綾、伊調馨の共通点。「環境の変化」は進化につながる。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

平昌五輪で2つのメダルを獲得した小平。オランダ修行など自ら新たな環境を求めた。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Asami Enomoto/JMPA

 過日の平昌五輪でひとつ実感したのは、競技環境の変化が、いかに選手を成長させるかということだった。

 練習する拠点を移したり、指導を受けるコーチを代えたりと、長年慣れ親しんだ練習環境を変えることが、ときに選手の進化を促す契機となる。

 例えばスピードスケートの小平奈緒。ここ2シーズン、国内外の大会で驚異的な成績を残してきた小平は、平昌五輪の女子500mで金メダル、1000mで銀メダルを獲得した。31歳で迎えた3度目のオリンピックで栄冠を手にした要因の1つに、500m5位、1000m13位に終わったソチ五輪後の日々がある。

 小平は2014年、憧れていた元金メダリストのマリアンヌ・ティメルに指導を受けるために単身オランダに渡り、プロチームに加入した。

 ティメルは日本からやってきた小平に、細かな部分からスケート技術を教え込んだ。それは小平にとっても新鮮だった。また単身での生活で精神的に強くなった面もあっただろう。長い競技生活の上で、さまざまなトレーニングを試行し、数々の経験を積んできた小平であっても、劇的な変化をもたらす時間となったのである。

平井コーチのもとへと移籍した寺川綾。

 それは冬季競技に限った話ではない。

 印象に残る選手の1人に、競泳の寺川綾がいる。寺川は2001年、16歳で世界選手権に出場し、その3年後にはアテネ五輪代表にも選ばれるなど、順調に成長を遂げているように見えた。だがその歩みは暗転する。2005年以降、大きな世界大会の日本代表から外れ、北京五輪の日本代表の座も逃したのである。

 周囲には「ここまでの選手」とみなす向きもあった。

「まわりにいろいろな評価をされるのがきつかったです。自分では精いっぱいやっていたから、結果を見て言われるのが自分の中でいちばん悲しかった」

 寺川は当時の状況をこう明かしてくれたことがあった。その一方で本人はまだあきらめていなかった。北島康介や中村礼子などの一流スイマーを育てた平井伯昌コーチの指導を受けたいと考え、クラブを移籍したのだ。

【次ページ】 選手が意見を言えることに驚いた。

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