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豊と幸四郎、武兄弟の適度な距離感。
兄の背を追う立場から、押す立場へ。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2018/03/05 17:30
武豊を鞍上に、武幸四郎調教師デビュー戦を白星で飾ったグアン。武兄弟の新たな関係の第一歩が始まった記念すべき日だ。
互いに比較の対象ではなかった関係。
そんな「武豊の弟」として、幸四郎調教師は騎手としてデビューする前から注目され、ずっと兄の背中を追いかけてきた。
偉大な兄を持つプレッシャーはあっただろうが、筆者の知る限り、それを口に出したことはない。飄々とした性格だし、年齢が離れていたこともあって、互いに比較の対象とは見ていなかったようだ。
ときは前後するが、幸四郎調教師が中学3年生だった'93年の12月、彼は、兄がナリタチカラで参戦する香港カップを観戦するため沙田競馬場にいた。
関係者席の近くのテーブルに、当時フランスのトップジョッキーだったキャッシュ・アスムッセンがいた。幸四郎調教師が、同じ長身であることから目標とし「世界一上手い」と話していた騎手だ。
私はアスムッセンを彼に紹介した。誰だかわからず握手をしていた彼に、私は耳元で「キャッシュだよ」と言った。すると彼は驚いて「えっ」と声を上げ、「おれ、手、洗えへん」と嬉しそうに言った。
それを兄に伝えたら、「そういう気持ちでいるなら、ぼくがとやかく言わなくても大丈夫でしょう」と微笑んだ。
騎手という同業者だし、贔屓にしてくれる馬主や厩舎などの人脈も重なるので、ライバルになり得る関係ではあった。しかし、あのころと変わらぬ適度な精神的距離感が、ふたりの間にずっとあったように見えた。
「武豊の弟」であることは同じでも。
幸四郎調教師も、騎手としてJRA通算693勝、うちGIは6勝という、記録にも記憶にも残る一流ジョッキーだった。それでも、海外と地方を加えると100以上のGIを含む4000勝以上を挙げている兄の背は遠すぎた。
抽象的な表現になるが、騎手を引退したことにより、兄の背を追う立ち位置から離れ、調教師として、兄の背を押す大きな力を持つようになった。兄は以前から、騎手引退後、調教師にはならないと話している。もう同業者になることはない。
武幸四郎調教師が「武豊の弟」であることに変わりはない。それでも、縛りつけるものから解き放たれ、より自由になった響きが、「武豊の弟」という言葉に加わったように感じられる。
早ければ、ダービーの翌週から始まる新馬戦で、彼が選んだ2歳馬がデビューする。「調教師・武幸四郎」がどんな若駒を送り出してくるか。楽しみに待ちたい。