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なぜ人々は松坂大輔を見に行くのか。
別格の“引力”には理由がある。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2018/02/16 11:45

なぜ人々は松坂大輔を見に行くのか。別格の“引力”には理由がある。<Number Web> photograph by Kyodo News

中日の沖縄キャンプ初日、メディアの数は昨年の120人から200人に。松坂の名前入り限定タオル(2000円)は即日完売。

松坂は「無理」をして勝ってきた。

 20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。

 PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。

 プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。

 松坂は「無理」をして勝ってきた。球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。

 世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。

筒香嘉智の人生を動かした松坂の引力。

 人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。

 DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜-PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。

 右肩の状態は「ここ数年で一番いい」という。とはいえ故障箇所を考えれば、この先も乗り越えねばならぬ障害はいくつもあるだろう。復活といえる日が訪れればもちろんだが、仮にマウンドにたどり着けなかったとしても、松坂はきっと前のめりに倒れているはずだ。

 20年目のスプリングキャンプも折り返し。松坂は非常に充実した表情で過ごしている。

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