炎の一筆入魂BACK NUMBER
機動力の広島で、鈍足の4番が光る。
松山竜平「新井さんゆっくりして」
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2017/12/20 07:00
走力に優れた選手が多い中、松山の立ち位置は明確だ。とにかく打って返す。それができれば主砲として固定されるだろう。
実戦形式で結果を残したのに広島に帰らされた。
走攻守3拍子揃った選手が多く揃う広島野手陣の中で、松山はバット1本で自らの立場を切り開いてきた。
入団してしばらくは二軍が主戦場。足が速ければ、代走要員として一軍ベンチに入れてもらえる。守備力があれば守備固めとしても計算できる。だが、打力で勝負する選手にとっては、打つか打たないかがすべて。経験が浅ければ代打要員としても物足りない。
思うように結果が出ない日々に気持ちばかりが焦り、結果を求めて大きく上げていた右足をすり足に変えたり、足幅やグリップの高さを変えたりと試行錯誤の悪循環。好不調の波は大きく、シーズンの中で何度も打撃フォームも変えていた。
迷いは、プレーにも表れていた。
野村謙二郎氏が監督に就任した2009年秋季キャンプでは、実戦形式で結果を残しながら広島に帰らされることもあった。
入団4年目の2011年にプロ初本塁打を記録し、翌年はオープン戦で首位打者となりながらも、シーズンはスタートにつまずくなど打率.204と低空飛行のまま終えた。
プロで生き抜くためには打力を磨くしかなかった。
打力を磨く。松山がプロで生き抜くためには、それしか道はなかった。まずは打撃の幹を根付かせるため、方向性を定めた。
右足を大きく上げ、L字を描きながら踏み込んで持ち味である長打力を生かす形だ。すぐに好結果に結びついたわけではないが、地道に続けることでフォームの無駄が省け、安定感が生まれてきた。
2012年には4番を初めて任され、2013年に初のシーズン2桁本塁打を記録。左の長距離砲として存在感を発揮し始めた。左の代打としてだけでなく、左翼や一塁でスタメン起用されるなど一軍に欠かせない戦力となった。