“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高卒1年目18歳にして鹿島の切り札。
安部裕葵が持つ「柔軟性ある芯」。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/11/09 16:30
試合の流れを変える大きな存在感を持った18歳の安部。代表チームでも、より一層の活躍が期待される。
「特別なことはしてません。高校時代と変わりません」
「もともと『自分は絶対に通用する』という思い上がりみたいなものや、『最初は絶対に通用しない』という固定観念みたいなものが全く無い状態で鹿島に入ったので、周りのレベルが高くても特に驚きもなかったですし、とりあえずやるべきことを一生懸命やることにしていました。
日々の練習を一生懸命やることを意識したら、試合にも出させてもらえるようになりました。なにも特別なことはしていない。高校時代から何も変わっていないんです」
東京都出身の彼は高校進学の際、所属していた「S.T.FCジュニアユース」から、指導者同士のつながりで広島県の瀬戸内高校に入学した。
「プロになるために広島に来た。他にも良い選手が入学していたし、自分が高3のときには広島でインターハイがある。それに向けてぶれずに努力をすれば目標は達成できると思っていた」
やるべきことをやっていたので、不安は一切無かった。
確固たる意志で広島にやって来た彼は、高2まで一度も全国には出られなかったが、その技術を着実に磨き続けていたようだ。
「確かに高2まで全国には出ていませんが、自分がやるべきことはちゃんとやれていると思ったので、まったく不安は無かったし、プロになれることを疑っていませんでした。
当時からその日の練習のことしか考えていなかったし。周りの環境云々よりも自分が成長出来ているか、やるべきことをやれているかが重要だと考えています。そうすることで周りの評価も付いて来るという確信があった」
周りに惑わされない、周りに惑わない――重要なのは周りではなく、自分自身が成長出来ているかどうか。日々の練習や試合に全力で取り組む。それを積み重ねている手応えが確実にあったので、不安は一切芽生えてこなかった、ということか。
「練習でダメなプレーがあったら、それを良くしようと考えるだけ。『俺にはこういう武器があるから磨いていこう』という訳ではなく、『自分に必要なものを身につけたい』という気持ちの方が強いんです。
だって、自分が現時点で武器だと思っているものがあっても、レベルが上がれば通用しなくなる武器かもしれないですし、敢えて『これ』というものを持たないようにしています」