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25歳の伊達公子から早21年……。
あの時と今回、2つの引退の違いは?
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byAFP/AFLO
posted2017/09/26 08:00
引退セレモニーでの伊達。その笑顔は、昔とまったく変わらない輝きを持っているように見えるが……。
前回の引退劇とまったく異なる雰囲気の中での引退。
21年前、都内の一流ホテルの大広間で行なわれた引退会見はどこかマスコミを突き放すような強ばった印象だったが、今回選んだのは第1期、第2期の両方のキャリアを通じて多くの思い出が詰まった有明コロシアムのセンターコートの上。
全ての質問に、丁寧に、真摯に、快活に答えた。
2つの引退会見のコントラストは、伊達が発した言葉が説明していたように思う。
「今は試合で今できる最大限のプレーをすること、そこに向けて努力することしか考えていない。そのあと自分が何をやりたいか、何ができるのかを少しずつ考えていくのかな。でも1回目の引退の後みたいに、ラケットをしばらく握りたくない、コートも見たくないという感じにはならないと思います」
9年前、11年あまりのブランクを経た突然の現役復帰を表明したのもテニスコートだった。
当時、よく練習に利用していた早稲田大学東伏見キャンパスのテニスコート。今思えば、そこからスタートするのだという覚悟が表れていた。
「チャレンジが好きで始めたことなんだから……」
大学のコートで始まりを告げ、国内一のセンターコートに終わりを告げた再挑戦は、本人も想像していなかった途方もない旅になった。
9年間、特に後半は辛いことのほうが多かったはずだが、「どんな試練もチャレンジのうち。チャレンジが好きで始めたことなんだから、あきらめる理由にはならない」と言っていたのが忘れられない。
チャレンジそのものが目的であり、何位になりたいとかグランドスラムで何回戦までいきたいとかいった目標は一度も聞いたことがなかった。
ただ、「自分が楽しいと思える環境をキープするためには、ランキングにこだわらざるをえない」と話し、それがグランドスラムの本戦レベルであるトップ100だったのだが、そこから落ちても止めなかった。
たとえ自分自身の前言と整合しなくても、そのときそのときの自分の気持ちに正直に行動した。それが伊達にとっての整合性であり一貫性だった。