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25歳の伊達公子から早21年……。
あの時と今回、2つの引退の違いは?
posted2017/09/26 08:00
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
AFP/AFLO
先週、東京で開催されていた東レ・パンパシフィック・オープンは、カロライン・ウォズニアッキの連覇で幕を閉じた。
ウォズニアッキといえば、伊達公子が8年前、13年ぶりに出場したウィンブルドンの1回戦で対戦した相手だ。ウォズニアッキは当時18歳ですでにトップ10入りしていたホープ。敗れたものの、20歳近く年の離れた未来の女王候補をきりきり舞いさせた試合は、伊達の第2のキャリアの中でもっとも興奮した試合の1つだ。翌年には、この東レでも40歳目前にしてマリア・シャラポワを破るという離れ業で国内外に衝撃を与えた。
こうして見ると、今年で34回を数えた東レの歴代チャンピオンの中に日本選手は伊達しかいないが、そのインパクトをしのぐことができたのは、結局伊達自身でしかなかったような気がする。
「25歳の引退」から21年目の引退について、思うこと。
その伊達が2度目の引退をした。
最初の引退が26歳……いや、実は以前から伊達が最初に引退した年を「25歳」と言うのが気になっていた。
ラストマッチは1996年11月のWTAツアー選手権で、伊達は1970年9月生まれだから「26歳」と報じているメディアが多いが、伊達は強く訂正もしない代わりに、自分から発するときには、ブログの中でもインタビュー中でも必ず「25歳」と言っいていたからだ。
遡れば、'96年にまさに電撃的な引退を発表したのは、確かに26歳になるわずか数日前のことだった。そのままツアーから退いたが、その年の上位16人に出場資格があるWTAツアー選手権の出場権を得たためニューヨークへ飛び、結果的にそれがラストマッチとなった。しかし、「25歳で引退」を聞く限り、伊達の意識の中ではそれは引退後の出来事であり、現役最後の試合という強い心はそこになかったということなのだろう。
あれから21年、2度目の引退を決意した伊達は、引退発表の場でも、最後の最後まで最後のトーナメントに思いを馳せ、叶うならまだプレーし続けたいと夢見ていた。