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柿谷曜一朗って実は面倒見の男?
“大人”になってC大阪の安定剤に。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/07/28 07:00
早熟の天才として騒がれた柿谷も27歳となった。紆余曲折のサッカー人生だからこそチームに伝えられるものがある。
監督が変わるごとに、方向性が変わっている?
C大阪でもかつてレヴィー・クルピ監督の時代に、香川真司や乾貴士を中心に攻撃的なスタイルが確立された。それは、清武、家長昭博、柿谷、南野拓実といった選手たちによって継承されたが、その後はどうか……。
「レヴィーのサッカー、ポポヴィッチのサッカー、大熊(清)さんのサッカー、ユンさんのサッカーっていうように、矢印が全部そっちに向かってると感じていて。だから、あの監督の時は強かったとか、あの選手がいなくなったら弱くなるってことを繰り返している。それでは本当に強いクラブにはなれない。その方向性を、選手とクラブが一緒になって作っていかなあかんと思っていて」
C大阪を攻撃的なカラーで染めたクルピ監督のチーム作りは、「攻撃ありき」だった。ゴール前で違いを生み出せる選手を重宝し、彼らの守備の負担を軽減させるために、彼らが攻撃のアイデアを存分に発揮できるように、縁の下の力持ちを配備した。
一方、尹晶煥監督のそれは真逆。「現代サッカーではスター選手であっても、チームの一員としてハードワークしなければならない」という考えのもと、まず守備意識の徹底を図った。プレッシングのスタート位置を定め、コンパクトな陣形を保つように指示し、攻守を素早く切り替え、球際で負けないことを求めた。
「監督か、自分か」の二者択一からの脱皮。
とはいえ、尹晶煥監督は守備的なチームを目指しているわけではない。監督自身、現役時代はクリエイティブなゲームメーカーだったのだ。そこには「守備をするための守備ではなく、攻撃につながる守備でなければならない」という狙いがある。守備の徹底が図れた今、チーム作りは「それをいかに攻撃につなげるか」という段階に入っている。
柿谷もそのことは理解している。だから、まずは監督の指示に従いながら、その上でC大阪らしい攻撃の彩りをどう加えるかにチャレンジしている。クラブの未来と方向性に想いを馳せながら――。
かつては「自分のサッカー観を捨ててまで、セレッソでプレーする意味はない」と思っていたという。その考えは、基本的に今も変わらない。だが、「監督のサッカーか、自分のサッカーか」という二者択一ではなく、監督のサッカーの中で自分をどう表現するか――。大人のフットボーラーとしてのアプローチができるようになったのだ。