ぶら野球BACK NUMBER
西武黄金時代OBの著書が面白い。
辻&伊東が語る清原、広岡、玄米。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2017/04/04 07:30
1994年のオールスター戦での風景(右から、森監督、石毛、清原、辻、伊東)。この年、ついに森監督が西武を勇退。督在任中の9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を記録した。
30年以上たっても玄米の恨みは忘れていない。
もちろん「負け方を知っている監督」「当たり前のことを当たり前にやり抜く采配」といった采配論も興味深いが、とにかく西武黄金時代の舞台裏が面白い。
広岡監督の“管理野球”における食事制限で「ごわごわの玄米がまずかった!」なんて若手時代の恨みをシャウトする辻。食べ慣れないせいか、最初のうちはお腹を下す選手も続出したという。
ベテラン選手の姿はほとんどなく閑散とする選手食堂。
いわば当時の西武は、勝つことでギリギリ繋がっていたプロの集団だった。
'85年オフ、メディカルチェックを受けた帰りに立ち寄ったドライブインで、「広岡辞任」の一報を聞いた西武ナインからは一斉に歓声が上がったという。
選手と一緒にゲームを嗜む森監督は理想の上司。
そんな厳しすぎる広岡時代を経て、やって来たのは最強の森監督時代。バブル経済とともに西武の強さも絶頂期を迎えることになる。
当時、チームの若手選手の間で発売したばかりの任天堂ゲームボーイが流行して、移動中の新幹線の中で遊ぶ新人類選手も多数出現。こんなとき、前任の広岡監督なら「目に悪い」と一喝して終わりだが、なんと森監督は自らゲームボーイを購入し、実際に体験した上で、選手たちに「たしかにあのゲームは面白い。ただし、ほどほどにしなさいよ」とたしなめる神対応。
まさに理想の上司の下で、9年間で8度のリーグ優勝。さらに6度の日本一と球界最高の二塁手・辻は常勝西武の中心選手として活躍した。