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バスケ修行のために高2で渡米……。
テーブス海の強みは“英語圏”思考。
posted2016/11/22 08:00
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
Yoko Miyaji
今年2月、テーブス海選手に初めて取材したときのこと。当初、インタビューは日本語で行っていたのだが、最後のほうで、言いたいことの日本語表現がどうしても出てこないようだった。そこで「英語でどうぞ」と言うと、まるでスイッチが切り替わり、人が変わったかのように話し始めた。
日本語がペラペラのカナダ人(現サンロッカーズ渋谷のBT・テーブス ヘッドコーチ)の父と日本人の母を両親にもち、彼自身も高校2年の夏まで日本で育ったこともあり、テーブスはとても流暢に日本語を話す。しかし実際のところ、テーブス自身は「英語のほうが話しやすいんです」と明かした。
そう聞いて日本に育ったけれど、英語的な思考回路のほうが自然なのだな、と腑に落ちるところがあった。
というのも、これまでアメリカに出てくる日本人選手を多く見てきたが、海外志向の選手であっても、プレーや考え方などが日本的だと感じることが多かったからだ。
たとえば相手への敬意、遠慮、恩義を大事にして、自分にとって最善なことを後回しにするような気質。道徳的に考えればすばらしいことなのだが、しのぎを削る競争の中では邪魔になることがある。
日本からアメリカに出てきた選手がすぐに実力が発揮できないのは、こういった習慣から脱皮して、アメリカで戦うメンタリティが身につくのに時間がかかることにも一因がある。
自らの夢を追うため、高校の途中で米国へ渡る。
しかし、テーブスは最初から少し違った。
日本では強豪の東洋大・京北高校に進学、1年のときからベンチ入りし、2年になった時にはエース級の活躍をしていたのだが、2年の夏にチームを離れ、アメリカの高校に転校したのだ。チームを離れることへの躊躇がなかったのかと聞くと、テーブスは言った。
「田渡(優)先生(京北高校のヘッドコーチ)とか先輩やチームメイトに迷惑をかけるのはわかっていたんですけれど、最終的には自分の将来のために何がいいかと思ったら、やっぱり、もうアメリカしかないと思ったので。田渡先生とかチームメイトに迷惑をかけるからアメリカに行かないというのも、自分の中では納得いかなかった。自分にとって一番いい道を選ばなきゃなって思いました」