“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
恩師・井原監督の薫陶を受けて。
冨安健洋、“新・アジアの壁”へ。
posted2016/11/10 11:30
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
AFLO
11月3日、今季のJ1リーグは閉幕した。
アビスパ福岡にとって、今季は厳しい1年となった。昨年、5年ぶりとなる悲願のJ1昇格を果たしたが、今季はファーストステージ、セカンドステージともに最下位に沈み、1年でのJ2降格の憂き目に遭った。
しかし、すべてが暗い話題で包まれた訳ではなかった。クラブの将来を照らす光もJ1を1年間戦ったことで差し込んだ。
その光の1つが18歳のセンターバック、冨安健洋だ。
高3ながらU-19日本代表の守備の要で、福岡でレギュラーの座を掴みとった逸材は、185cmの高さを生かした空中戦と1対1の強さを持つ。また最終ライン裏への対応力、そして両足から繰り出される正確なフィードも武器としている。ボランチとCBの両方をハイレベルでこなしている冨安は、中学時代から福岡の下部組織に所属し、U-13からこの世代をリードする存在として頭角を現した。
「相手によって対応を変えること」というアドバイス。
2014年にはU-16日本代表のCBとしてAFC U-16選手権に出場。昨年高校2年生で2種登録されると、天皇杯1試合に出場。そして、飛躍の1年となった2016年、高校卒業を待たずしてトップ昇格を果たすと、J1に挑むチームにおいて、ファーストステージ終盤にベンチ入り。セカンドステージ第3節のFC東京戦でリーグデビューをボランチでのスタメンで果たした。
待望のデビュー戦で井原正巳監督の信頼を掴むと、そこからボランチとしてスタメンにも定着。セカンドステージ第10節と11節ではCBとしてスタメン出場するなど、守備陣に欠かせない存在にまで成長した。
井原監督と言えば、かつて日本代表キャップ122を積み上げ、1998年のフランスW杯に出場するなど、“アジアの壁”という異名を取ったアジアトップレベルのCBだ。その指揮官の寵愛を受けた冨安はJ1での経験を得るなど、期待を一身に受けた。
「井原監督は特に細かいことを言う人ではないのですが、常に言われているのが、『相手によって対応を変えることが大事だ』ということです。例えばウェリントンのように身体の強い選手もいれば、金森(健志)さんなどスピードがある選手など、対応の仕方を変えろと言われました。あと一番強調されるのが、気持ちの部分。気持ちで負けたら、何も始まらないと教わりました」