“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
恩師・井原監督の薫陶を受けて。
冨安健洋、“新・アジアの壁”へ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAFLO
posted2016/11/10 11:30
長身でボランチも務められるほどのビルドアップ能力。現代サッカーのセンターバックに求められる資質を冨安は有している。
指揮官、先輩MFとのコミュニケーションで得たもの。
井原監督が現役を引退したのが、2002年。この時、冨安は4歳だった。現役時代を鮮明に覚えている訳ではないが、重厚な経験に裏打ちされた百戦錬磨の名手の言葉の重さは十分に感じている。
「井原監督の言葉は凄く説得力があるし、1つ1つが重い。実際に試合を重ねることで、その言葉の一つ一つの意味を感じることが出来た」
周りのチームメイトの言葉も彼にとっての財産となった。今季、横浜F・マリノスから加入して来たMF三門雄大と、セカンドステージからボランチコンビを組んだ。
「三門さんからはコミュニケーションの大切さを学びました。試合で意思疎通するには、自分の想いをはっきりと口にしたり、相手の意見を積極的に聞きに行くことが必要です。想いや意見を口に出すことが、自分に言い聞かせることになる。凄く自分自身を理解したり、落ち着かせることが出来るようになった。それを教えてくれた三門さんは尊敬している存在です」
「アビスパを残留させられなかった」と語る自覚。
以前は試合中は大人しかった冨安だが、ここに来て大きく変わった。大きなアクションで周りに伝わるようなコーチングをする姿は最近になって見られるようになったし、彼のコメントの中身も大きく変化し、自分自身の考えを整理して言葉に出せるようになった。
「毎日、凄く成長を実感出来たからこそ、それをアビスパで出して、残留させられなかったことが本当に悔しいですし、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
当然、11月5日に18歳となったばかりの冨安にすべての責任が押しつけられるわけではない。だが、貴重な経験を与えてくれた指揮官とチームメイトに、結果で恩返し出来なかったことに強烈な後悔の念が生まれた。チームを背負ってピッチに立つ者の自覚と責任感に年齢は関係ない。彼が背負ったものは、確実に成長の起爆剤となった。