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一流の選手は、一流の言葉を発する。
清武と原口の成長に見る奇妙な相関。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2016/10/18 11:00

一流の選手は、一流の言葉を発する。清武と原口の成長に見る奇妙な相関。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

オーストラリア戦でも得点を決め、これで代表戦で3戦連続得点となった原口。ハリルジャパンの得点源として、完全に定着したといえる。

ユース時代から抜きん出ていた原口と清武の才能。

 2人とも小学生時代から抜きん出た存在で、原口は抜群のドリブルのキレとシュートセンスが際立ち、清武は視野の広さとパスセンスが光っていた。

 浦和レッズユース時代に取材で何度も通ったが、原口の言葉は中学生(当初の彼は中学生でジュニアユースからユースに飛び級で参加をしていた)、高校生レベルということを差し引いても、しっかりとコメントができるという印象はなかった。

 清武に関しては、彼が高校生の時、大分トリニータU-18の練習取材に行った時にちょうど怪我のリハビリ中だったので、ジャージー姿でリラックスしていた彼と1対1で話をした。決して話が上手いわけではなかったが、朴訥な感じながら自ら話そうとする意思もちゃんとあり、好印象を受けた。

 逸材と言われた2人は当然のようにプロに進み、Jリーガーとして取材をする機会はあったが、実はコメント力は高校時代より悪くなっているような印象を受けていた。

プロ入り後もずっと順風満帆というわけではない

 原口に関しては、当時の浦和のチームメイトが「相当なやんちゃな選手で、何か言うとすぐにふてくされたりしていたり、感情を剥き出しにすることもある」と語っていたように、感情の起伏が激しく、囲みでも素っ気ない応対を見せていた。

 清武も、囲み取材をしても声が小さ過ぎたり、うつむいて質問者の顔を見なかったり、質問に対する答えが短かったりと、高校時代に抱いた印象とは裏腹に、コミュニケーションを取るのが困難な選手になっていた。

 2人に共通していたことは、「複数の人間が集まる囲み取材に対して積極的では無い」ということ。嫌悪感さえ抱いているのではないかと感じることもあり、その印象はしばらく拭えなかった。

 その後の彼らのサッカー人生も順風満帆とはいかないように見えた。

 清武はC大阪で頭角を現し、'11年にA代表入りをして翌'12年にはロンドン五輪4位に貢献。ドイツ1部のニュルンベルクに移籍をし、海外でのキャリアをスタートさせ、'14年にはブラジルW杯のメンバーに選出されるが、出場は僅か数分間に留まった。

 それ以降も'15年1月のAFCアジアカップでW杯以来となる日本代表メンバーに選出されるが、グループリーグ3戦すべて途中出場で、UAEに敗れた準々決勝での出番は無く、A代表では一向に定位置を掴みきれないでいた。

【次ページ】 欧州クラブで2人が学んだものとは?

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