炎の一筆入魂BACK NUMBER
優勝時のフィールドにいなくとも……。
廣瀬純、広島カープに殉じた16年間。
posted2016/10/03 17:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
NIKKAN SPORTS
16年間の野球人生を表すような光景だった。
2016年10月1日、マツダスタジアムで行われたヤクルトとの今季最終戦は、今季限りでユニホームを脱ぐことを決めた廣瀬純の引退試合となった。
試合前の打撃練習ではすでに練習を終えた菊池涼介と小窪哲也がケージ裏でずっと背番号26の打撃を見守り、同じく練習を終えた松山竜平は左翼で廣瀬の打球を追った。
これは2度目の光景だった。
降雨でノーゲームとなった、9月25日の幻の引退試合のときも同じ光景が広がっていた。ケージ裏には菊池と安部友裕、左翼では松山と、内野手登録の小窪が打球を追っていた。
同日は倉義和の引退試合ということもあり、2人の打撃順はファンが入場した後に回ってくる最終組に回された。
「ただいま、倉選手、廣瀬選手がフリー打撃を行っております」とアナウンスされ、打撃練習の様子はバックスクリーンに映し出された。温かい拍手と歓声の中、特別な時間が流れた。これも2人の人柄。
演出したのは、東出輝裕、迎祐一郎の年下打撃コーチの計らいだった。
金本、緒方、前田……立ちはだかった高い壁。
廣瀬は2000年に逆指名で広島に入団した。だが、当初は金本知憲、緒方孝市、前田智徳という高い壁の前をなかなか越えられないでいた。世代交代とともに出場機会が巡ってきたときには、度重なるケガとの戦いを余儀なくされた。
辛酸を嘗めてきたからこそ、'10年の打率3割、ゴールデングラブ賞獲得、'13年の15打席連続出塁の日本記録という栄光につながった。だが、晩年はまたケガに泣かされた。
昨年は入団以来、初めて一軍での出場なく終わった。今年はシーズン終盤に一軍昇格が検討されたが、同時期に右肩を痛めたことで消滅。当時は「そんなときにケガしてしまうのが、俺なんだよな」と努めて笑っていたが、「思うような動きができなくなったというのが一番の要因だと思います」と引退の契機となったことを会見で明かした。
一軍での出場機会に恵まれなかった昨季、右の外野手として廣瀬に興味を持つ球団があった。だが、最後まで広島愛を貫いた。法大時代の恩師、山中正竹元野球部監督からの教えもあり、逆指名でプロへ導いてくれた球団との縁を裏切るようなことはできなかった。