マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園“悲劇の主役たち”の心の内。
北海、中越、光星の声に耳を傾けて。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/08/25 07:00
優勝した作新学院とともに写真に収まる北海ナイン。準優勝盾を持つ大西をはじめ決勝の舞台まで辿り着いたことは事実だ。
「甲子園に来てもアウェーなんやなと思いました」
それにしても、この歓声は何なのか。観客たちは、いったい何を讃えているのだろうか。
「昔は“外人部隊”とか言われて、今でもホームなんてほとんどないんで、自分たちは」
理由をつけられないまま、選手だれもが声を上げて泣いている中で、八戸学院光星の5番を打った花岡小次郎中堅手だけがキリッと胸を張っていた。
この日、バックスクリーンへ一弾を放ち、1人で4安打5打点と打ちまくって、本当ならヒーローになっていたはずの選手だ。
「甲子園に来てもアウェーなんやなと思いました。アウェーでも勝たなきゃならないんで。アウェーで勝ってこそ、それが自分たちの真価なんで」
球場全体が“敵”だった……。
最後の9回に投げていた桜井一樹投手の言葉は悲しかった。
「自分たちの力が足りなかったんです」
壁のほうを向いてしゃがんだまま、いつまでも背中を震わせている控え選手の背番号は、もっと別のことを言いたそうに見えた。
“弱いもの”ではなく“多数派”を応援している?
かつて、日本人が“弱いもの”を応援したのは、自分たちも弱く、貧しかったからだ。
今、ハンパに強くなった日本人。
自分を高めることより、自分が勝てる場所を探し、そこに逃げ込むことでわずかな“勝利感”を得て、日本人は少しずつ、ハンパに強くなってきた。
強くなったつもりの日本人たちは、自分たちが間違いなく“多数派”であることがわかっている時だけ、もしくは、相手が間違いなく“少数派”であることがわかっている時だけ、タバになってつぶしにかかる。
いつの間に、弱いものいじめの体質になってしまったのか。