マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園“悲劇の主役たち”の心の内。
北海、中越、光星の声に耳を傾けて。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/08/25 07:00
優勝した作新学院とともに写真に収まる北海ナイン。準優勝盾を持つ大西をはじめ決勝の舞台まで辿り着いたことは事実だ。
「えらい!」と思ったのは北海・大西健斗だった。
当然、疲弊が見えるはずだった。
それが、どこにも見えない。少なくとも、表にそれを見せない。すごいヤツだと思った。よくいう「甲子園のバカぢから」。もしそういうものなら、郷里に帰り我に返ってから、どうか念入りにケアをしてほしい。
5回のグラウンド整備で6対1。試合はそのまま大きな波乱もなく、作新学院が勝利をつかんで、大会は幕を閉じた。
すごかったのは作新学院・今井達也だったが、「えらい!」と思ったのは北海・大西健斗のほうだった。
たまたま、彼のこの1年をポツポツ見ていた。昨年の夏も、彼は甲子園に出ていた。
しかしリリーフに上がったマウンドで、ストライクが入らずに降板する屈辱を味わって、気持ちの整理がつかないまま、地元に戻ってまもなく始まった新チームの「札幌地区予選」では最初の試合で敗れ去った。
春も地区大会で敗れ、監督がふと口にした一言。
北海高が札幌地区で負ける。これは地元では事件になる。
さらに、この春。やはり、札幌地区で敗れて春の北海道大会を逸した北海高は、会場となった「円山球場」で大会の管理役にまわった。
ダグアウトの横に、グラウンド整備の道具を置いてあるちょっとした空間がある。
目の前の試合が終わったら、次の試合に備えてトンボを持ってすぐにグラウンドに飛び出せるように控える選手たちの中に、北海・平川敦監督がいた。
「野球はグラウンドでやらないと、ダメですね……」
選手たちにグラウンド整備の指示を細かく与えて、ふっとこっちを振り返って、珍しくご自分のほうから言葉をかけてくれた。
それが、5月を終えて6月を迎えるころだった。
そこからわずか2カ月半。
北海高は、南北海道を勝ち抜いて甲子園に進み、さらに激戦の4試合を勝ち進んで決勝戦にコマを進めた。敗れたとはいえ、高校野球の最後の日まで、北海高は甲子園のグラウンドに立っていた。