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「公立」「全員地元の子」で決勝へ。
甲子園を駆け抜けた高松商の物語。 

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藤田孝夫

藤田孝夫Takao Fujita

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photograph byTakao Fujita

posted2016/04/06 10:30

「公立」「全員地元の子」で決勝へ。甲子園を駆け抜けた高松商の物語。<Number Web> photograph by Takao Fujita

1924年4月開催の「第1回選抜中等学校野球大会(旧大会名)」優勝校の高松商(1909年創部)。ストッキングの赤、白の線は春夏甲子園の優勝回数を示す。

センバツではうまくいかないと思われていたが……。

「古豪復活」

 神宮大会の優勝を受けて、各メディアは例外なくこの言葉を引用した。

 ただ、世間の高評価ほどチームが熟成されていない現実は、監督の長尾が一番感じていた。

「非常にたくさんの方に応援して頂いて力にはなったんですが、復活と呼べるかどうかは、これから子供達がどれだけ頑張れるかだと思います。確かに神宮大会では1番になったんですが、まあ私から見て、全国のランキングで1番かというと実はそうではない。本当に力のあるチームは、全国にたくさんいますから」

 確かにそれは謙遜ではなく、偽らざる本心だったろう。真価が問われるのは甲子園の舞台。ただそう思えば思うほど、負のイメージも湧いてくる。

「センバツは、神宮大会のようにはいかないだろう――」

粘り強い戦い方こそ“高商野球”の伝統だ!

 案の定、センバツの開幕を控えて高松商業の評価はそれほど高くなく、せいぜいダークホースとして名が挙がる程度だった。

 迎えた1回戦でも、初出場のいなべ総合(三重)に大苦戦。8回表終了時点で3-6とリードを許した時は、さすがに万事休すと思われた。やはり甲子園は特別な舞台。神宮大会の再現は儚き夢に終わろうとしていた。

 しかし8回裏、ノーアウト2、3塁から2つのセカンドゴロで1点差に追いつくと、9回裏にはワンアウトから死球で出塁した1番安西が二盗、結果広く開いた三遊間に2番竹内啓人がしぶとく転がして同点。言わばこの粘りこそが、往年の高商野球だった。伝統は息づいている、そう思わせる瞬間だった。

 その後延長戦で1回戦を制した高松商業は、多少守備面の粗さを見せながらも、前評判を覆す活躍を見せていく。

 2回戦では大会屈指の好投手、創志学園(岡山)の豪腕高田萌生を打ち崩し、準々決勝では海星(長崎)から22安打を放って17点を奪い、準決勝では九州No.1の秀岳館を延長で振り切った。決勝で敗れはしたものの、高松商業は最も印象に残るチームとして、春の甲子園を駆け抜けていった。

【次ページ】 「今日は負けてもええと思てたんやけどね」

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