甲子園の風BACK NUMBER
「公立」「全員地元の子」で決勝へ。
甲子園を駆け抜けた高松商の物語。
posted2016/04/06 10:30
text by
藤田孝夫Takao Fujita
photograph by
Takao Fujita
「キィーン!」
延長11回裏2アウト、鋭い金属音を残して、智弁学園(奈良)エースで6番、村上頌樹の打球がセンター安西翼の頭上を越えていく。
湧き上がる悲鳴と歓声。
中継に入ったショート米麦圭造から懸命のバックホームもわずかに及ばず、サヨナラのランナー高橋直暉が1塁から一挙にホームに滑り込んだ。
ダイヤモンド中央で歓喜の輪をつくる智弁ナインの背後で、膝から崩れ落ちてしばらく立ち上がれないキャプテン米麦の姿があった。
智弁学園初優勝への執念が、高松商業(香川)56年ぶりの優勝を阻んだ瞬間だった。
「私は、選手たちはよくやったと思っています。ただ選手たちは、悔しいだろうと思います。勝つつもりでやってましたから……」
試合後の長尾健司監督の談話が、選手たちの想いを代弁していた。
“古豪・高商”と“ニュー高商”。
高松商業の快進撃、それは昨年秋に始まっていた。
まず秋季の県大会を準優勝し、香川の第2代表として四国大会に出場。そこから池田(徳島)、今治西(愛媛)、済美(愛媛)、明徳義塾(高知)と名だたる名門校を撃破する。
その後、四国代表として11月の明治神宮大会に出場。札幌第一(北海道)、大阪桐蔭(大阪)、敦賀気比(福井)とこれまた全国クラスのビッグネームを撃破し、初優勝を果たす。その勝ちっぷりも豪快で、四国・神宮大会を通しては1試合の平均得点が7点、放ったヒットは10本以上だった。
ただその数字以上にファンや関係者を驚かせたのは、のびのびと笑顔でグランドを走り回る、“ニュー高商”の姿だった。
昭和の時代強かった、“古豪・高商”の印象は、今で言うスモールベースボール。どちらかというと「守り」のチームだった。醸し出す規律と秩序は、対戦相手に畏怖の念を与えていた。20年ぶりの甲子園、とは言え高商の激変振りは、高校野球を見続けてきた者に衝撃を与えた。