2016年の高橋由伸BACK NUMBER
未完成で、不安定で、一寸先は闇。
だから、2016年の高橋由伸を見よう。
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2016/03/24 11:05
コンディションが悪いということで、期待していた捕手・阿部慎之助と岡本和真の二軍行きが開幕直前に決定。新人監督にとって辛い報道が続く……。
上原のありがたさ、ヨシノブの軽やかさ。
1999年の巨人は、上原浩治と松井秀喜と高橋由伸が強烈だった。ルーキーの上原浩治は5月30日から9月21日まで15連勝を記録した。登板日は日曜が多かったので「サンデー上原」という異名が付いた。このありがたさがわかるだろうか。つまり「どんなに巨人が連敗しても、上原が投げる日曜の夜はご飯が食べられる」のである。神様、仏様、上原様であった。松井秀喜にもかなりお世話になった。
そうしたなか、自分の利害に関係なく中継をみながらひたすら驚いたのが高橋由伸だった。ルーキーイヤーを終え2年目のヨシノブが面白いように打ったからだ。
もちろん本人はプレッシャーと戦いながら打席に入っているのだろうけど、見てる方からすると「サーと来て、サーと打つ」という感じにしか見えないのだ。軽やかに初球からヨシノブはポンポン打ち返していた。バッティングってこんなに簡単なのか。今でも鮮明なヨシノブの姿である。
その年は星野中日が開幕から独走し、巨人は夏場から猛追。天王山といわれた9月14日のナゴヤドームでの中日戦で、ヨシノブは接戦の中、大飛球を追ってライトのフェンスに激突し骨折する。巨人の優勝も、私の任務も、事実上この瞬間に終わった。それほどヨシノブの離脱は決定的な終戦だった。
この故障で終盤欠場したが、ヨシノブの打撃成績は118試合で打率.315、本塁打34、打点98。ため息が出る数字だった。
打席では天才だけど、人としてはこっち側。
結局中日が優勝して私の半年間は無駄に終わった。しばらく巨人戦をみるのが億劫になった。テント生活の苦しさを思い出してしまうのだ。
近年はスカパーで、その日のおもしろそうなカードをセ・パ関係なく見るようになった。全国の球場を巡る小旅行も好きになった。現在のお気に入りは広島マツダスタジアムとコボスタ宮城、そして甲子園だ。のんびり野球をみるのが好きになった。
そんななか、昨秋のゴタゴタからのヨシノブ監督である。打席では天才だけど、人としてはこっち側の人がこの大逆風のなか、また重荷を背負わされている。
球団からは「1年目は、とにかく一生懸命やってくれればそれでいい」という空気すら感じる。嵐が去るのをこうべを垂れてじっと待つような。もしかしたらファンのあいだにも今年はそういう気分があるかもしれない。
でもそれは間違った謙虚さだと思う。