2016年の高橋由伸BACK NUMBER
未完成で、不安定で、一寸先は闇。
だから、2016年の高橋由伸を見よう。
posted2016/03/24 11:05
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph by
Kiichi Matsumoto
今春になって「2016年の高橋由伸を追いかけたいのです!」と突如宣言……ということで、いきなり新連載スタート! その名も『2016年の高橋由伸』。今季は徹底的に巨人を追いかけます! 果たしてヨシノブ・ジャイアンツの行く末やいかに?
3月19日、巨人と楽天のオープン戦。8回表に楽天のルーキー・オコエ瑠偉が打席に向かうと、東京ドームの全方角から声援がとんだ。明るさ、フレッシュさ、ウキウキさ。ホームチームに足りないものがその打席にあった。「おまけに」オコエ瑠偉はヒットを放った。
『オコエ勝負強すぎ4打点 清原、松井超えちゃった』(日刊スポーツ・3月20日発行)
《オープン戦で4打点以上挙げた高卒新人は06年炭谷(西武)以来、10年ぶりだ。(略) 勝負強さを発揮し、オープン戦の打点は86年清原(西武)や93年松井(巨人)を上回っている。》
オコエが今年から活躍できるかどうかはこの際どうでもいい。それよりも、人々の顔をしばらくやわらかくさせる資質を持つ若者に対して、東京ドームの観客はハッピーになったのだ。若干のため息をつきながら。
「かなり直前まで、巨人のドラフト1位はオコエ瑠偉だったんですよ」
今年初めにある席で野球担当の新聞記者が私に話してくれた。
楽天はハズレ1位でオコエ瑠偉を獲得した。巨人が本当に最初から入札していたら、オコエを単独指名できたことになる。野球の「たら、れば」は極上のつまみだ。そこが酒場でなくても。
暗いムードの年にこそ、スターを引き当ててきた。
なぜ巨人はオコエ瑠偉を回避したのだろう?
「やっぱり、野球賭博の一件が大きかったみたいですね」
つまり、これだけの不祥事を起こしたのだから、今回のドラフトはできるだけ目立たぬよう、カタくいこうという「戦略」になったのだという。そういえば巨人1位の桜井俊貴、2位の重信慎之介は立命館大と早稲田大出身で、指名会見の雰囲気は就職が決まった優秀な学生そのものだった。
でもムードを変えるなら、なおさらオコエの華やかさだったのでは? という素朴な疑問もある。
長嶋茂雄監督が解任され王貞治が引退した1980年、秋のドラフト会議で巨人の藤田元司新監督は東海大の原辰徳を引き当てた。Jリーグ発足を翌年に控え、野球人気がオヤジジャーナルで憂慮された1992年、巨人は長嶋を監督に復帰させ、長嶋はドラフトで松井秀喜の当たりくじを引いた。過去における「一新」の歴史である。