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中国の爆買いとJ開幕当初は同じか?
日本が今も「いい職場」である理由。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2016/03/14 10:40
広州恒大のパウリーニョは、今アジアでプレーする最高の選手の一人。欧州でも一線で活躍できる選手だ。
Cリーグの爆買いは、Jの開幕当初に似ているか?
中国経済の停滞などお構いなしの爆買いは、Jリーグ開幕当初を想起させるところもある。ジーコ、ピエール・リトバルスキー、ガリー・リネカー、ラモン・ディアス、カレカ、サルバトーレ・スキラッチら、キャリアの終焉に差し掛かったベテランが集う日本プロサッカーの黎明期を、欧州のメディアは“年金リーグ”と揶揄した。彼らの技術は決して錆びついていなかったが、世界のトップレベルで活躍するのが難しくなっていたのは、紛れもない事実だっただろう。ジーコについては、現役引退を撤回してのJリーグ登場だった。
だが、かつてのJリーグと現在のCリーグは、必ずしも重なり合わない。
日本から帰国した選手が、満足感を母国に伝えた。
外国人Jリーガーのほとんどすべては、Jクラブからのオファーに親愛感を覚える。練習環境がしっかりと整っていて、トレーニングや公式戦がスケジュールどおりに消化されていくピッチ内での生活は、ストレスとほぼ無縁である。
ピッチ外も同様だ。Jクラブは外国人選手の生活に対する配慮はもちろん、家族へのケアも手厚い。子どもの教育や妻の出産、スーパーでの買い物などにも目配りの利いたサポートは、日本人が誇りとするおもてなしの文化の表われだ。
国際線の到着ゲートを出た瞬間から、母国への帰国便にチェックインをするまで、外国人Jリーガーとその家族はクラブのサポートを感じることができる。サラリーを超えた価値を提供された外国人Jリーガーは、このうえない満足感を母国の友人に伝えていった。
金銭的な報酬ではCリーグや中東に対抗できない現在も、外国人選手の間でJリーグの評価が下落しているわけではない。とりわけブラジルでは堅調だ。Jリーグでプレーした選手の生の声が、新たなタレントを惹きつけている。
代表チームに招集されるかどうか、というのも大きなポイントだ。
アメリカW杯でブラジルが優勝した直後、世界王者の一員であるレオナルドが鹿島アントラーズへやってきた。翌'95年1月には、バイエルン・ミュンヘンでプレーしていたジョルジーニョも鹿島の一員となった。
3月には同じくW杯優勝メンバーのジーニョが、セザール・サンパイオとエバイールとともに横浜フリューゲルスのユニフォームに袖を通す。W杯で控えGKだったジルマールが、セレッソ大阪の守護神となった。アメリカで黄金のカップを頭上に掲げたドゥンガも、同年8月からジュビロ磐田でプレーする。