JリーグPRESSBACK NUMBER
中国の爆買いとJ開幕当初は同じか?
日本が今も「いい職場」である理由。
posted2016/03/14 10:40
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
AFLO
まあホントに、驚かされるばかりである。中国サッカー超級リーグ(以下Cリーグ)の爆買いは、えげつないほどだ。
どこから触ろうか迷ってしまうぐらいだが、思いつくかぎり書き出してみよう。
監督の顔触れがすごい。ルイス・フェリペ・スコラーリ(広州恒大)とマノ・メネーゼス(山東魯能)は、ブラジル代表の監督を務めたことがある。ジュビロ磐田にほんの少しだけ足跡を残したスコラーリは、'02年の日韓W杯の優勝監督だ。
W杯を知る監督はまだいる。スウェーデンの古強者スベン・ゴラン・エリクソン(上海上港)は、'02年大会と'06年大会でイングランドを、'10年大会でコートジボワールを率いた。ご存じアルベルト・ザッケローニ(北京国安)は、'14年大会の日本の指揮官である。
甲級リーグと呼ばれる2部も含めれば、日本代表監督経験者の中国行きはフィリップ・トルシエ('02年大会)、岡田武史('10年大会)に続いて3人目となる。秋葉原や銀座に観光客が殺到する以前から、中国サッカー界は日本に注目していたのだ。
ビッグネームはもちろん、唸る渋い名前も。
日本の代表監督だけではない。Jリーグにゆかりのある人物も、Cリーグで采配をふるっている。'08年から'13年まで名古屋グランパスを束ねたドラガン・ストイコビッチは、広州富力の監督である。重慶力帆の張外龍(チャン・ウェリョン)も、Jリーグの複数クラブで仕事をした韓国人指導者だ。
韓国人指導者と言えば、洪明甫(杭州緑城)を忘れてはいけない。ロンドン五輪でU-23代表を、ブラジルW杯でフル代表を指揮した韓国のスーパースターは、Cリーグでクラブ監督としての一歩目を記した。
目の付けどころがいいな、と思わせる監督の招聘もある。
スペイン人のグレゴリオ・マンサーノ(上海申花)は、リーガ・エスパニョーラで手堅い実績を残してきた熟練者だ。チェルシーなどで活躍した元ルーマニア代表のダン・ペトレスク(江蘇蘇寧)は、本田圭佑がプレーしていた当時のロシア・プレミアリーグで高い評価を受けた48歳である。
古くからのJリーグファンには、賈秀全の名前が懐かしいはずだ。ガンバ大阪の創生期にプレーした強気なCBの“かーさん”は、河南建業のベンチを預かっている。