“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
広島をJ優勝に導いた浅野拓磨。
高校の恩師の「ある教え」とは?
posted2015/12/09 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
J1優勝を懸けたチャンピオンシップ決勝において、ファーストレグ、セカンドレグ共にMVP級の活躍を見せたのが、広島の若きストライカー・浅野拓磨だ。
どちらの試合も後半途中にFW佐藤寿人に代わって投入されると、ファーストレグでは同点ゴールのきっかけとなるシュートを放ち、セカンドレグではチームを優勝に導く同点弾を頭で叩き込んだ。
広島に栄冠をもたらした2つのプレー。中でもファーストレグのプレーは、彼が高校時代に掴んだ『ある教え』がもたらしたものであった。
まずはそのシーンを振り返ろう。80分、DF塩谷司の右タッチラインギリギリからの浮き球のロングパスに反応し、トップスピードでDFの裏に抜け出すと、飛び出して来たGK東口順昭をワンタッチでかわす。ここまでは彼の特徴であるスピードがよく出たシーンだった。トップスピードゆえにワンタッチが大きくなり、ゴールに対する角度がかなりきつく、距離もペナルティーエリア外からという状況になった。
しかし、ゴールはがら空き。次の瞬間、ストライカーの本能は、自分のシチュエーションよりもゴールの状況を優先した。彼は身体を強引に巻き込むように、右足一閃。ボールは唸りを上げてゴールに一直線。入ればスーパーゴールだったが、ボールは逆サイドの左ポスト内側を強烈に叩いた。そのこぼれ球に反応したMF柏好文のシュートを、FWドウグラスが頭で方向を変えてゴールに突き刺した。
中学時代、高校サッカー界の名将が惚れ込んだ。
このシーンの裏側にある『ある教え』とは何か。それは高校時代に遡る。
三重県で生まれ育った浅野は、中学時代は地元の菰野町立八風中学校サッカー部でプレーをしていた。
「当時から彼はずば抜けたスピードを持っていた。しかも、スピードタイプにありがちな、ボールが収まらなかったり、顔が上がらないというデメリットが彼にはそれが無かった。絶対に将来大成する存在だと思った」
こう語るのは樋口士郎。三重の名門・四日市中央工業高等学校サッカー部(以下・四中工)の監督であり、高校サッカー界きっての名将だ。当時、中学生の浅野のプレーを観て、その才能に惚れ込み、熱烈なラブコールを送った。
「最初は普通の高校に行ってサッカーをやろうと思っていたけど、熱意を感じたし、四中工でやってみたいと思ったんです」