“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
広島をJ優勝に導いた浅野拓磨。
高校の恩師の「ある教え」とは?
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2015/12/09 07:00
四日市中央工高時代に50m走を5秒9で走った俊足。今年8月にはA代表デビューもしている。
全国の強豪チームが面白いように翻弄された。
そこに気付くことが出来たのが、2年生のときに出場した秋田インターハイだった。1年の冬に選手権に出場したが、1回戦の室蘭大谷(現・北海道大谷室蘭)戦で、後半途中から出場し、僅か29分間のプレーでシュートを1本も打てないまま、敗戦を喫していた。浅野にとって、これがレギュラーとして臨む初の全国大会だった。
この大舞台で全国の強豪チームが、彼のスピードに面白いほど翻弄された。2回戦の東海大四(北海道)戦では、ハットトリックを達成。3回戦で前橋育英に敗れたが、この経験は彼に足りなかった決定的なものを与えてくれた。
『自信』
この夏を越えてから、明らかに彼の表情が変化をしていった。「FWとしてゴールを決めないといけない」。同じフレーズだが、それを語る彼の表情は明らかに引き締まった。
「ようやく自分が全国で通用する存在、上を狙える存在だとちょっとずつ理解し始めていった。それをさらに加速させたのが選手権だったね」(樋口監督)
加速した点取り屋としての本能。
この年の冬。四中工は第90回全国高校サッカー選手権大会に出場。すると、1回戦の羽黒(山形)戦でオープニングゴールを決めると、一気に点取り屋としての本能が加速した。3回戦では後半アディショナルタイムに起死回生の同点弾を挙げ、PK戦の勝利に導くと、準々決勝の中京大中京(愛知)戦でも後半アディショナルタイムに執念の同点ゴールを決め、2試合連続のPK勝利に導いた。
「3年生をここで終らせるわけにはいかなかった。もう無我夢中で身体がゴールに向かっていた」
本能に火がついた彼を、もう誰も止めることは出来なかった。準決勝の尚志(福島)戦で2ゴールを挙げると、決勝でも先制弾。1回戦から決勝まで全試合ゴールという離れ業をやってのけた。決勝は延長戦の末に逆転負けを喫し、準優勝に終ったが、大会の主役として、彼の名はたちまち全国に轟いた。
これでもう『半信半疑』では無くなった。3年生になると、ピッチ上での彼の佇まいはオーラが漂うようになった。「油断してたらいつでも仕掛けるぞ」、「常にゴールを見ているぞ」とメッセージが聞こえて来るような、『危険な香り』を常に漂わせていた。