箱根駅伝2016BACK NUMBER
[平成8年第72回大会優勝] 中央大学「怪物“渡辺康幸”に10人の総合力で挑む」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2015/12/17 07:00
8区で川波が暴走とも言えるペースを出した時、コーチは頭を抱えたというが、それが32年ぶりの歓喜への呼び水となった。
不和を起こした中大独特の事情。
これには中大独特の事情がある。
同大の陸上部には「学生主体」という不文律がある。主将、主務を中心とした学生の手で部を運営していくのだ。中大には伝統校としては珍しく、駅伝専任の監督がいない。大志田が練習に顔を出すのも週3日ほど。ホンダに籍を置きながらの指導だった。
松田が続ける。
「監督がチーム作りをするのとは違い、主将が部の運営を決めるとなると毎年、練習内容や寮生活のルールが変わります。そこで混乱が生まれたりする。前田さんは親分肌で下級生に慕われていましたが、強引なところもあって同級生と衝突していました。走り込みが多すぎる、門限破りのペナルティが厳しすぎるといったことで、反発が起きていたんです」
少数精鋭の中大では、高校時代に実績のあるエース級が鎬を削る。高いレベルでの争いはいいことだが、そのため主力と控えとの間に溝が生じてもいた。勝利にこだわる主将が厳しい姿勢を打ち出すたびに、プライドのある控え組は反発する。これでどうやって箱根駅伝を戦えというのだろう。
「学生が学生を叱れる風土」
だが、それでも中大は勝った。大志田コーチは、前田がいなければ32年ぶりの悲願はなかったと考えている。
前田は実は、箱根駅伝の優勝メンバーに名を連ねていない。実力は申し分なかったが、故障が癒えず、必死の調整もむなしく直前にエントリーを外れたからだ。
大志田は、そんな前田にチームを仕切らせた。
「勝つチームを作るには、学生が学生を叱れる風土がなければいけない。前田は最後の箱根を走れないというジレンマを抱えながら、だらけた部員を一喝し、強い姿勢で部員をまとめようとしていました。よくやってくれたと思います」
前田と相部屋だった松田も、チームの結束に心を砕く主将の姿を何度となく目にした。
「前田さんは部員の一人ひとりを部屋に呼んで、勝つために何をすべきか、そうしたことを話していました。大志田コーチとも密に話をしていたので、コーチは前田さんを通じて巧みにチームを操縦していたのかもしれませんね」