フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
パトリック・チャン印のワインって!?
フィギュア選手、引退後の様々な人生。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byJMPA
posted2015/07/08 11:00
自身の名前を冠したスケート学校もバンクーバーに創設される。国民的英雄は、これからもカナダのスケート界で大きな存在感を放つことだろう。
元五輪メダリストが初心者にも指導してくれる?
スケーターによっては、自分がついていたコーチのアシスタントとして指導チームの一員となり、かつてトレーニングメートだった選手たちの指導にあたる。前年まで現役だった選手が、翌年にはコーチとしてキス&クライに座っている姿を見かけるのは、こういう恵まれたケースである。
だがそれ以外の選手は、コーチになったら自分の生徒は自力で開拓していくしかない。
子供たちだけでなく、大人になってはじめた趣味のスケーターも、えり好みせずに指導する。信じられないかもしれないが、元五輪メダリスト、世界チャンピオンクラスの選手でも、コーチになったあかつきには、お金を払えば初心者にでも教えてくれるという状況も珍しくない。
振付師になるスケーターとは?
中には、スケーターから振付師に転向する選手もいる。
日本でなら、最近では高橋大輔などのプログラムなどを数多く手がけてきた宮本賢二が、もっとも成功した例だろう。
元アイスダンス全日本チャンピオンの彼は、2006年に引退後、少しずつ振付を手がけはじめ、現在ではエフゲニー・プルシェンコなど海外の選手からの依頼も来る売れっ子振付師となった。
振付師に転向するスケーターは、現役時代から独特の個性があり、表現力にこだわりのあった選手である。羽生結弦のプログラムなども手がけてきたジェフリー・バトル、シェイリーン・ボーンなども現役時代からその表現力が光っていた。
トリノオリンピック銀メダリストのステファン・ランビエルもアイスショーで活躍する傍ら振付をはじめ、町田樹のプログラムなどを手がけてきた。来季のエリザベータ・トゥクタミシェワのプログラムも彼が振付ける予定だという。
コーチも同じだが、振付師として成功する人物が、現役時代に素晴らしい成績を残した選手とは限らない。
ニコライ・モロゾフがその良い例で、本人は大きな国際試合でメダルを手にしたことは一度もなかった。だが競技引退後、振付師としての才能を開花させ2002年ソルトレイクシティ五輪ではわずか26歳にして、アレクセイ・ヤグディンのプログラムで一躍「金メダリスト振付師」となった。
彼のようにコーチと振付の両方を手がける人物も珍しくはない。振付師はコーチに比べると数の上で需要が少なく、それ専門で生計をたてていくのはやはり特別な才能が必要とされる。