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素晴らしい騎手であり、熱い男だった。
後藤浩輝騎手との思い出をたどって。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKyodo News
posted2015/04/04 10:40
2013年11月4日にエスポワールシチーに騎乗しJBCスプリントを制覇したのが最後のGI制覇となった。
上村洋行のGI初制覇に涙する熱い一面も。
そしてまた、熱い男でもあった。
同期の上村洋行元騎手が2008年のスプリンターズステークスでGI初制覇を果たしたとき、ジョッキールームで見ていた彼は検量室前に駆け下り、抱き合って涙を流した。
昨春、落馬して都内の病院に入院していたとき、見舞いに訪れた私と、レースにおける人馬の安全確保について、理想的な騎乗フォームについて、若手騎手の育成方法について、競馬史を競馬学校のカリキュラムに加えることについて、新たなメディアを使って競馬の楽しさを発信する方法について……など、2時間以上も語り合った。首にコルセットを巻いた彼は、伸びた髪を輪ゴムでちょんまげのように縛り、無精髭が伸びた顔をくしゃくしゃにして笑った。まだ落馬からそれほど日数が経っておらず、腕にしびれが残り、思うように動かせない時期だった。
「今回、初めて騎手引退を真剣に考えました」
「小さな娘の顔を見たとき、『これからも父さんはジョッキーとして頑張るから、見ていてくれな』と言っていいものかどうか、悩んでしまいました。今回、初めて騎手引退を真剣に考えました」
もともと自分のためだけに競馬をする男ではなかったが、愛する家族のために生きるという気持ちが強くなっていたようだ。
体が元どおり動くようになれば騎手をつづけたいと思ってはいても、ようやくリハビリができるようになったばかりの時期だった。「引退」を考えるのも無理もないことだった。
熱くなりすぎるところもあり、若いとき後輩騎手を木刀で殴る不祥事を起こしたこともあった。しかし、初めて取材した記者やライター、編集者などは、みな彼のファンになる。一対一で気持ちをぶつけ合うことに関してものすごく真剣で、そうした姿勢が、真摯なやりとりにつながっていたからだろう。
ファンからも、厩舎関係者からも、マスコミ関係者からも人気があった。
知り合いであることを自慢したくなる魅力が、彼にはあった。
私も彼が大好きだった。