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素晴らしい騎手であり、熱い男だった。
後藤浩輝騎手との思い出をたどって。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKyodo News
posted2015/04/04 10:40
2013年11月4日にエスポワールシチーに騎乗しJBCスプリントを制覇したのが最後のGI制覇となった。
日本を代表する騎手として、競馬界全体を考えていた。
素晴らしい騎手だった。
1992年、美浦・伊藤正徳厩舎所属としてデビューし、JRAで通算1447勝、重賞53勝をマークした。2002年にアドマイヤコジーンで安田記念を制し、JRA・GIを初制覇。交流競走を含め、GIを8勝している。
その成績が示しているように、日本を代表する騎手のひとりだった。つねに競馬界全体のことを考え、どうすれば競馬の魅力をひろく伝えることができるか、そのために自分に何ができるかを模索していた。
テレビのバラエティ番組に出たり、音楽CDを出したり、雑誌にエッセイを連載したり、ファンが参加できるイベントをプロデュースしたり、プロ野球の試合で馬に乗って始球式に登場したり……と、明るいキャラクターと整ったルックス、高い知名度を生かし、競馬界のためになりそうなことは何でもした。
正座した膝をなかなか崩そうとしない男。
いい男だった。
去年の春、彼がファンだった、『盲導犬クイールの一生』などの著者である石黒謙吾さんと私と3人で食事をしたとき、こちらが何度言っても、正座した膝をなかなか崩そうとしなかった。
冬場、競馬場の前に徹夜で並ぶファンに、サインを入れた簡易カイロをプレゼントしたこともあった。
2011年3月の東日本大震災のあと、被災地入りし、原発事故のため福島競馬場の寮などで避難生活を送っていた飯舘村の人々を慰問した。そして、翌年、福島競馬場で競馬が再開されたとき、そこに招待された飯舘村の人々をもてなすイベントに参加するなど、優しい男だった。