沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
素晴らしい騎手であり、熱い男だった。
後藤浩輝騎手との思い出をたどって。
posted2015/04/04 10:40
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Kyodo News
今でも競馬場に行くと、無意識にその姿を探してしまう。体を小さく畳んだ、ブレのない騎乗フォーム。ヘルメットを固定する白い顎紐が目立ち、馬群のどこにいても、すぐにわかった。受け入れなければいけないとは思っているのだが、コース上に彼がいないという喪失感は、やはり大きい。
今年2月27日、金曜日、後藤浩輝騎手が世を去った。40歳だった。
2012年のNHKマイルカップで落馬して、頸椎骨折、脊髄不全損傷などの重傷を負ってから休養と復帰を繰り返し、昨年11月に3度目の復帰を果たしたばかりだった。
後藤浩輝がもっともやりそうにないことだった。
亡くなる前週の土曜日にも中山競馬場で落馬して心配されたが、翌日曜日には京都競馬場で2勝を挙げていた。その後、栃木のリハビリ病院で、関節の可動域をひろげたり、体幹を強化するトレーニングなどをこなし、写真や動画をフェイスブックにアップするなど、いつもどおりの彼の姿が見られた。
ところが、土日の騎乗馬がすべて決まり、これから調整ルームに入ってレースに備えるというときに、彼は自ら死を選んだ。
自死というのは、私の知っている後藤浩輝がもっともやりそうにないことだっただけに、報せを受けたときは信じられなかった。
ひと月以上経った今でも、あれは悪い夢か何かで、「いやあ、びっくりさせてごめんなさい」と、彼が頭をかきながら目の前に現れてもおかしくないような気さえしている。