マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
選抜は、学校対抗じゃなくていい!
一度見たい「地域選抜」という妄想。
posted2015/03/20 10:35
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
毎年、春のセンバツが近づいてくると、私の中に、漠然と素朴な疑問がわき上がる。
「センバツ」とは、どういう意味なのだろうか。
夏の甲子園のように、明確な予選大会があって、そこを勝ち抜いてきた者たちだけが集う大会に対して、前年の秋の大会が事実上の予選で、その上位校の中から選考委員たちが選んで出場校を決めるから「センバツ」。
そんなところなのだろうと勝手に考えているのだが、実は私のイメージの中にはずっと、私なりの、私だけの考えがある。
センバツ。つまり“選抜”するのであれば、チームを選ぶのではなく、選手を選んでもよいのではないか。そんな思いが毎年わき上がるのである。
たとえば、こうだ。
九州に4チームの出場権が与えられるとしたら、九州を4地区に分け、福岡・大分連合、佐賀・長崎連合、熊本・宮崎連合、鹿児島・沖縄連合の4チームを作り、各県から「選抜」された選手たちでチームを構成するのだ。
人選のバリエーションこそが、勉強になる。
これじゃあ、プロ注みたいな選手の集まりになってしまう……という心配もあるが、そこは、選抜方法にひと工夫加える。
今のセンバツに「21世紀枠」があるように、選手を選ぶにも、元気なら負けないヤツ、勉強も野球も優秀なヤツ、一度も練習を休んだことのないヤツ、守備ならこいつ、足ならこの選手、そして、そういうめんどくさそうな集団のリーダーシップをとれるとしたら……。いくつかの“枠”を設けて、人選にバリエーションを持たせるのだ。
世の中にさまざまな人間がいるように、野球のチームにもいろいろな役割があって、ベンチ入りの18人全員が機能する。それが本当の「チームプレー」であることを、選ばれた選手たちに体現してもらう。
実際どこの野球部にも、リーダーシップをとれるヤツがいたり、そのフォローが達者な選手がいたり、また沈んだムードを一気に換えられる“持ってる”ヤツがいたり、宴会部長がいたり。それが「人間模様」というものであろう。
そうした社会の縮図のような集団を選抜チームとして作り、甲子園でお互いの腕と社会性を競う。これ以上の勉強はないのではなかろうか。