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1試合と1年間、それぞれの“終盤力”。
浦和が浴びたブーイングの内実とは?
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2014/12/09 10:40
リーグ戦最後の3節で、浦和はついに1つも白星をあげられなかった。日本最大の予算とサポーター組織を持つビッグクラブは、2006年以来Jの頂点に立っていない。
チャンスにゴールを奪えなければ、流れは去る。
ラスト3試合で共通したのは、チャンスを迎えながらゴールを奪いきれず、気づけば相手にゲームの流れを渡してしまったこと。
相手を仕留めきれない状況が続き、選手たちは心身とも相当疲弊していたのではないか。その結果、判断ミスやセットプレーで集中が切れたところを突かれ、終盤での致命的な失点に直結したのではないか。
天皇杯早期敗退の思わぬ余波。
試合の締め方だけでなく、終盤戦のマネジメントでも課題が残った。
象徴的な出来事が興梠慎三の負傷離脱だった。
175cmと決して大柄ではない興梠だが、厳しめの縦パスやフィフティー・フィフティーのロングボールを収めきってしまう独特のポストワークで、浦和の攻撃のスイッチを入れる。同時に、裏への抜け出しを使い分ける駆け引きの上手さで、チームトップとなる12得点をマークした。
しかし、興梠は第30節の鹿島戦で右足腓骨を骨折。浦和はキープレーヤーを失うこととなった。また、高い危機察知能力を持つ鈴木啓太も秋以降にコンディションを大きく落とした(その後、不整脈が発覚)。結果論になってしまうが、首位決戦のG大阪戦では興梠、そして最終節の名古屋戦では鈴木と、万全でないキーマンを起用せざるを得ない状況に陥った。
それを招いた一因として、天皇杯の早期敗退も絡んでいる。
連係面を重視してメンバーを固定する浦和にとって、天皇杯はサブメンバーにとって貴重な実戦機会となる。しかし今年は、昨年と同じく3回戦で敗退。矢島慎也や山田直輝、永田充ら世代別を含めた日本代表経験者でも、出番が限られることとなった。