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CSを制したSB秋山監督の「賭け」。
陰のMVPは“帰ってきた”大隣憲司。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/10/21 11:55
CSを制し、お立ち台に呼ばれた秋山幸二監督は、大隣憲司を呼び寄せてともに勝利を祝った。今年での退任が決まっている秋山監督は、花道を日本一で飾ることができるか。
2010年に始まった、技巧派への転身。
大隣が秋山監督の信頼を掴むきっかけとなったのは2010年。それまでのパワーピッチングから、技巧派に転身したのもちょうどこの頃だった。
春季キャンプからリリースポイントに重点を置き、フォーム作りに着手。その際、大隣は自分が目指すスタイルをこう語っていた。
「リリースポイントさえ安定していれば、フォームが崩れたとしてもそれなりに試合を作っていけるというか。そのくらいボールを離す位置は大事だと思っているんで、早く自分のリリースポイントを体に覚えさせたい」
2010年の交流戦、広島に6回5失点でKOされた際には、秋山監督から「相手がなんで抑えられたか分かるか?」と、前田健太と自分の投球術の違いを問われたこともある。
ひと言で技巧派を目指すと言ったところで、一朝一夕で完成するほど簡単な作業ではない。それでも'12年には自己最多の12勝をマークするなど、大隣の投球スタイルは徐々に確立されていった。さらにこの時期は、精神面も一まわり成長が見られるようになった。
印象深いのが、その年のCS、西武との第1ステージだ。第3戦を任された大隣は5回1失点と粘り、チームをファイナルステージへと導いた。
「投げていれば必ずピンチはある。『弱気は最大の敵』」
ピンチにも動じないマウンド捌きについて、大隣は自らを奮い立たせるようにこう振り返っていた。
「投げていれば必ずピンチはある。そこを気にしていたらダメだし、そういう時だからこそ気持ちを切り替えないといけないですから。『弱気は最大の敵』だと思って投げられたのがよかったです」
自分の意思で切り開いた技巧派という投球スタイルに、経験を重ねることで成熟するマウンド度胸――。このふたつの武器が、大隣のバックボーンとなった。
下半身のしびれや麻痺を引き起こし、最悪なケースでは歩行困難になると言われている難病はわずか1年で克服した。
そして復帰後は3勝1敗、防御率1.64と抜群のパフォーマンスを発揮することができたのは、大隣が妥協をせず揺るぎない投球スタイルを築き上げてきたからだった。