フットボール“新語録”BACK NUMBER
ザックジャパンの戦術的な問題は、
主力と監督の“歩み寄り”が生んだ!?
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byItaru Chiba
posted2014/08/10 10:40
ザックジャパンの立ち上げから、日本の攻撃を牽引してきた遠藤保仁と本田圭佑。実らなかったとはいえ、彼らが新たなオプションに挑戦していたことは覚えておきたい。
コンフェデ、ウルグアイ戦で高まった危機感。
そもそもチーム内で“このままではまずい”という雰囲気が強まり始めたのは、昨年6月のコンフェデレーションズカップだった。
初戦でブラジルに0-3で敗れて危機感が高まり、選手だけのミーティングが開催された。戦術について議論がかわされ、その結果を監督に伝え、禁止されていたサイドチェンジを認めさせるなど、一定の成果があった。そしてイタリアに善戦し(試合には3-4で敗れた)、再び前に進み始めたかに思われた。
しかしそれは一時しのぎにすぎず、8月にウルグアイに2-4で完敗。危機感がぶり返した。
FWの高さで劣る日本がいくらサイドを崩しても、単純なクロスだと跳ね返されてしまう。また、練習ではサイドを崩す複数の連携が叩き込まれたが、相手が想定したパターン通りに動くとは限らず、戦術眼に優れた相手には通じなかった。本田・遠藤が自ら打開策を考え、新たな攻撃のオプションに挑みたくなるのは当然だった。
あえて○×表記を使えば、ザックの戦術はこうだ。
「速攻○、遅攻×」
(ちなみに2010年W杯の日本代表は、「速攻×、遅攻×」だったが、守備は○で、さらにセットプレーが◎だった)
選手と監督の“歩み寄り”が戦術面をうやむやにした。
選手が限界を感じて監督に進言した時点で、チームとしてはもう終わりかけていたのかもしれない。だが極端な例をあげれば、1974年W杯では西ドイツ代表のベッケンバウアーが監督から実権を奪い、自ら先発メンバーを決めて、チームを優勝に導いた。本田がリーダーシップを発揮すれば、ザックジャパンの問題点が解決できるはず……と個人的には信じていた。
しかし結論から言えば、ザックジャパンでは暴走も、衝突も起こらなかった。創造的破壊が起こる前に、互いが歩み寄ったからだ。11月のベルギー遠征で監督と主力選手が集まって話し合いが行なわれ、妥協点が見出された。
W杯直前のアメリカ合宿で、本田はこう明かした。
「私自身も歩み寄りましたし、おそらく監督自身も歩み寄ってくれたんじゃないかなと思う。あのへんで何となくフィックスされた感じはある。もちろん、微調整はその後もありつつも。監督はいい意味で頑固なんでね。監督がイニシアチブを取りながら、選手たちがところどころ『こうした方がいいんじゃないか』というところの意見を言いました」
あの状況でチームが空中分解してしまわなかったことは高く評価できる。絆は深まっただろう。だがそれは、戦術面の遅攻の問題をうやむやにするという代償を伴った。