甲子園の風BACK NUMBER
8年連続甲子園出場の聖光学院。
荒療治で甦った「ダメなチーム」。
posted2014/08/06 10:30
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
福島大会の決勝戦。夏の県大会7連覇中の絶対王者、聖光学院が窮地に立たされていた。
8回が終了した時点で2-6。マウンドには、「県ナンバーワン投手」としてプロのスカウトの視線も集める日大東北のエース・大和田啓亮が立っている。状況としては、絶望的なビハインドである。
事実、斎藤智也監督の脳裏には、「敗戦」の二文字が浮かび上がっていた。
「大和田君は8回まで全く球威が落ちていなかった。初戦からずっと、ほぼひとりで投げてきているのに決勝でも素晴らしいピッチングをされたんじゃ、あっぱれというしかありませんよね。しかも彼には、『聖光を倒して絶対に甲子園に行くんだ!』という執念を感じた。だから、8回に三者凡退になって、気持ちの半分くらいは『今年は厳しいかな?』と思いました。日大東北さんの強さを認めていたし、正直、負けたときのコメントを考えようと思っていたくらいです」
初出場を決めた2001年も、劇的な逆転だった。
最後まで戦い抜いてくれたらそれでいい――。心の中で選手たちに労いの念を抱いた瞬間、指揮官はふと、夏の奇跡を思い出していた。
甲子園初出場を決めた2001年。あの年の決勝の相手も日大東北だった。
9回に1点差を追いついたものの、延長11回表に4点を奪われ、一度は手繰り寄せたはずの悲願を失いかけていた。
だが、選手たちは諦めてはいなかった。
その裏、1死満塁から2連打で2点を返し、なおも満塁の絶好機で逆転サヨナラ三塁打によって劇的勝利を収めたではないか。
当時は地元出身者が多く、軟式野球経験者がほとんどのチームだったが、今は違う。
全国の強豪硬式野球チームで研鑽を積んだ中学生たちが、「聖光で野球をやりたい」と自主的に集まるようになった。選手たちのポテンシャルは、13年前のチームとは比べるまでもなく高い。
何より、今の斎藤監督には春夏合わせて甲子園で3度のベスト8の実績があり、チームを全国屈指の強豪に育て上げた矜持がある。
「こいつらを負けさせたくない!」
指揮官は敗者の感情をグッと抑え込むように、丹田に力を込める。そして、最終回の攻撃の前、「先輩たちにできてお前たちにできないはずがないよ!」と、ベンチで選手たちに力強く喝を入れた。