甲子園の風BACK NUMBER
8年連続甲子園出場の聖光学院。
荒療治で甦った「ダメなチーム」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2014/08/06 10:30
聖光学院の夏の成績は、2008年、2010年のベスト8が過去最高。ダルビッシュ、菊池雄星も果たせなかった東北勢初の優勝に挑む。
4点差の7回から始まる特別ルールの紅白戦。
斎藤監督が選手たちに口酸っぱく説いてきた、目配り、気配り、心配りの先にある「野球道」。日常生活における規律を徹底し地域貢献に励む。練習でも「1日1000スイング」をこなす選手が増えるなど、新学期を迎えるころには自主性も着実に身についてきた。
その、聖光学院の取り組みが実を結んだのが春季県大会だった。決勝戦で日大東北にリベンジを果たして優勝。チームの「凡事徹底」が初めて報われた瞬間だった。
チーム力は高まってきている。仕上げは底力の強化のみとなっていた。
斎藤監督がチームに課したのは「終盤の攻防」。ビハインド時でも本来の力を発揮させるために、4点差の7回から開始するという特別ルールの紅白戦を6月から始めた。
逆転できなければ、「点差×ベースランニング1周」のペナルティが与えられる。この緊張感ある練習は、夏の大会期間中であっても毎日のように行なわれた。
「あの紅白戦があったから9回に追いつけた」
だからこそ、選手たちは初戦から順調に勝ち進んでいたとしても慢心することはなかった。そしてその伏線は、決勝の大一番で繋がったのだ。安田は自信を持って話す。
「あの紅白戦に尽きるというか、負けているなかで何回も試合をすることで仲間を信じることができるようになったし『どんな状況でも絶対に負けない』って強い気持ちを持てるようになりました。あれがあったから9回に追いつけたし、最後にサヨナラで勝つことができたと思います」
全国的に8連覇は、戦後では最多タイ記録となる。結果だけを見れば「聖光学院強し」のイメージをより高めたことになるだろう。だが、チームから言わせればそうではない。落ちるところまで落ち、やるべきことをゼロから続けてきたからこそ、偉大な記録に肩を並べることができたのだ。