甲子園の風BACK NUMBER
8年連続甲子園出場の聖光学院。
荒療治で甦った「ダメなチーム」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2014/08/06 10:30
聖光学院の夏の成績は、2008年、2010年のベスト8が過去最高。ダルビッシュ、菊池雄星も果たせなかった東北勢初の優勝に挑む。
練習を禁止し、主将を頻繁に交代する荒療治。
一度、チームを解体しなければならない――。斎藤監督は荒療治に打って出た。
東北大会終了直後から、グラウンドでの練習を一切禁じた。学校周辺のゴミ拾い、グラウンドの防護ネットの修繕……。環境整備に努める日々が1カ月半ほど続いた。
当時のチーム状況を回想すると、今でも斎藤監督の顔には苦笑いが浮かぶ。
「この代の選手たちが入学してきた時から連勝街道は続いていたし、どこか『聖光に行ったら甲子園に出られる』といった安易な考えがあった。最初から赤いじゅうたんが敷かれた上で野球をすることが当たり前になっていたんです。
でも、秋に負けた。それは野球の神様が、『こんなダメなチームには勝たせてあげないよ』と言ってくれていたんだと思うんです。でもそれを認識する力が、当時の選手たちにはなかった。だから『自分たちがやるべきことは何か?』ということを分かってほしくて、グラウンドを出禁にしたり、散々文句も言いました」
その他の改革では、斎藤監督は主将を頻繁に代えた。その意図を、「チームのリーダー不在。自分のプレーだけに集中すればいい、というような逃げ腰があったから」と説明する。
主将を経験することで、選手の意識が変わった。
少しずつではあるが、選手たちにも指揮官の熱意が届くようになった。
新チームで最初に主将を務めた伊三木は、チームリーダーを経験することによって、それまで見えなかったことが見えるようになったという。
「キャプテンをやったことで、それまでの自分がどれだけ楽をしていたかが分かったというか。チーム全体を見ることを意識することによって、普段の生活でも当たり前のことが自然とできるようになりました。ゴミを見つけたら拾うとか、練習でも声が出ていなかったり甘えている選手がいたら注意するとか」
秋から4番に座る安田も、主将に任命されたひとりだ。彼もまた、まとめ役をこなすなかでチームを俯瞰的に捉え、自分たちがすべきことを理解できるようになったと断言する。
「自分たちの代で連勝を止めてしまったことが本当に悔しくて。結果を出せなかったのは、技術的なことよりも、やっぱり自分たちを支えてくれる人たちへの感謝の気持ちとかが足りなかったからだと思います。
オフの期間から選手だけでミーティングして、そういう話を何回もしてきました。そこから、各自で『自分たちにできることは何か?』と考えながら行動に移せるようになっていったと思います」