サッカーの尻尾BACK NUMBER
ルイ・コスタから本田へ、共感と激励。
歴代の10番も通った「酷評」という道。
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byEnrico Calderoni/AFLO SPORT
posted2014/03/19 10:50
「ガゼッタ・デロ・スポルト」に掲載された、ウディネーゼ戦の選手採点。フル出場した本田圭佑は、ターラブトやメクセスと並んでチームで最も低い5点だった。
過去にイタリアで最も批判された日本人、中田英寿。
中田はペルージャ時代の大活躍がものすごいインパクトだったので、イタリアで批判されたという印象は薄いかもしれない。しかし実は、過去にイタリアで最も批判された日本人選手だった。
ペルージャ時代とは対照的な、パルマとフィオレンティーナ時代の低調なパフォーマンスがあったからだ。
『クソみたいな中田』、だとか『ピッチにいたのは中田の従兄弟だった』だとか、優美な印象のあるフィレンツェだが、批判は激しく、中田はそこで1シーズンにわたって馬鹿にされ続けた。
一番記憶に残っているのは『中田は冷蔵庫に入れ忘れたバターのように使えない』という批判だ。記者もあらゆる批判をしすぎて言葉が足りなくなり、表現を少々ひねらざるを得なくなったのだろう。バターという言葉を使った批判を、それ以来目にしたことはない。
1年半ゴールに見放され、批判を受けたルイ・コスタ。
イタリアメディアの本田批判の一部が日本に伝わり、それが大きく報道されているけれど、過去の例と比較するとまだまだ柔らかいものだと思う。
本田にはイタリア初参戦ということ、シーズン途中から加入したこと、ミラン自体が最悪の時期を過ごしていること、加入後監督が交代したことなど、彼への個人批判を和らげるエクスキューズがいくつもある。
それらが取り除かれる来季も現在のようなプレーを続けていたら、批判のトーンはさらに上がるかもしれないが。
少し前、セードルフの前にミランで10番をつけていたルイ・コスタに話を聞く機会があった。彼も本田と同じように、ミラン加入当初はサポーターから批判を浴びていた選手だ。彼は本田について、こんな話をしてくれた。
「私も最初は相当批判されたものだ。あのクラブの10番を背負うというのは簡単なことじゃない。批判の理由は単純だったよ。点が取れなかったんだ。イタリアでは攻撃の選手には、どうしても得点が期待される。でもあの頃はゴールから見放されていてね。何かに呪われてるんじゃないかと思ったくらいだ。1年半くらい得点を決められない日々が続いた。これはキャリアで初めてのことだった」