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Kリーグを足がかりに欧州へ──。
新潮流をうみだす2人の元Jリーガー。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byGetty Images
posted2013/12/05 10:30
ACLの広州恒大戦、先制ゴール直後のエスクデロ。試合前には「日本の4チーム特に直接負けた浦和と柏の分まで絶対勝ちます! あと日本人として戦います!忘れないでくたざい!」とツイートしていた。
監督の命令に従わねばプレー機会を失う。
エスクデロは2012年の夏の移籍市場でソウルに移った。'07年に日本国籍を取得した際には大きな注目を浴びたが、度重なる負傷もあり浦和での出場機会が減っていた。そのころ、Jクラブからの誘いもあったが、ソウル行きを選んだ。
「崔龍洙監督のストレートで強い誘いに惹かれて。『とにかくここに来て、プレーしろ』という」
3歳から8歳まで日本で育った後、父の祖国アルゼンチンに帰国。10代前半で再来日を果たした身には、韓国は完全に未知の地。ポジティブ、ネガティブといった印象すらなかった。そんな地で、猛烈なアジア的情緒に触れる。監督と選手との関係性は、アルゼンチンそして日本とすら大きく違うものだった。
「崔龍洙監督の言うことが絶対。プレーでそれに応えない限り、自分のポジションはなくなってしまう。日本やアルゼンチンだと監督と『こういう考えだからこういうプレーを選択した』という風に意見を交換しながらやるんだけれどここでは一切、許されませんからね」
“外国人意識”がエスクデロを成長させた。
'13年AFC年間最優秀監督、崔龍洙の厳しくも温かい指導の下、蘇ったエスクデロ。しかしソウルでも一時期調子を落としたことがあった。そのときもまた、崔龍洙の言葉に刺激を受けた。チームの日本人フィジカルコーチ菅野淳はこう証言する。
「'12年に来たばかりの時はいい状態だった。ところが一時期パフォーマンスが落ちたんです。そこで崔監督から声をかけられた。『おまえは外国人枠でプレーしているんだから、普通のプレーで終わるな』と」
ヨーロッパのような高いプレーレベルにはないのかもしれない。しかし外国人枠での競争が選手としての成長を促す。じつは逆の流れでJリーグに渡ってくる韓国人選手は10年以上も前から口にしていたことだ。エスクデロ自身もこの条件での競争意識の効果を感じているところだ。
「日本にいれば当然、生じ得ない競争意識ですよね。ここに来て改めて感じることなんですけど、浦和レッズはアジア最高級の環境を持つクラブでした。選手が望めばどんな準備だってしてもらえた。そこで試合に出られなくとも、『他のJ1のクラブやJ2からオファーがあるだろう』と考えていたと思う。甘えていたと思うんですよね」
増田と同様に、ソウルでの活躍の先に見据えているものがある。
「日本代表に選ばれたい。そして、ヨーロッパに行きたい。そのために韓国に来ていますから」